畦道をしっかりと歩きなさい

   人生には、その節目節目ごとに教えてくださる方や、励ましてくださる人が、必ずいる。

その時にはその意味や価値を充分には理解できていないのだが、この年齢になってようやく

その重さや大きさを納得し、心から感謝できるようになってきた。



 まだ塾や予備校が一般的でなかった時代、私は新潟県立新津高校生だった。周囲は

“こめどころ新潟”を支える田んぼが見渡すかぎり続いていた。

 そんな中での受験勉強。今思い返すと何とも不思議な気分になるのだが、私は某寺で

英語を教えていただいた。著者名は忘れたが「新々英文解釈」という参考書を使った。

仲間四人ほどと小さな長机を囲んで、英訳や文法を勉強したのだ。



 先生は磯部泰氏という、かつて京都大法学部で学んだ住職。まったくのご好意で、週一回、

しっかりと教えてくださった。通うのが楽しみだった。皆で「お寺」と親しく呼ばせても

らって、欠かさず通った。



 まさに寺子屋。お陰でずいぶん英語力がつき、私らばかりでなく、高校の先輩後輩の数多くが

その恩恵を受け、志望大学に合格できた。何人かは東大や京大にも進学できた。



 そればかりではない。住職は勉強の端々で人生の心得を話してくださった。生意気盛りの

当時でも“なるほど”と納得するものがあったが、後年、その言葉が徐々に深く心のひだを染め、

今では私の人生訓となっている。

 その一つ。

 「畦道をしっかりと歩きなさい」

 畦道とは田と田の間の細い道のこと。決して見立たないが、無ければ困る。畦道が崩れれば

水が流れ出て稲は育たない。目立たない事の中に大切なものがあり、そこをしっかり見据えて

行きなさい。そんな場に遭遇しても一生懸命努力しなさい。私はそう理解して、この言葉を

大切にしてきた。



 住職とはしばらく音信不通であったが、一昨年拙文をお送りしたところ、思いがけず

お葉書を頂戴した。





 服部兄、「医家芸術」御寄贈。びっくりした。嬉しかった。懐かしかった。貴兄の評論、

丁寧に読んだ。書いてある内容とともに、小生の若い頃、あのロマンを追っかけていた時代の事を

思いだした。医師は御手とも称した。小生の友人と、阿賀の河の土手に二人寝ころんで星空を

仰ぎながら希望を語ってくれた。その友も今は亡い。

 あの頃、青春、「暮らしは低く、思いは高く」で、何か世の中における尊いものを追っかけて、

青春を燃焼させておった。

 一度お会いしたいな。地元勢とは、時々会っているのだが。また。

 ご健康を祈る。御健斗を祈る。



 当時と変わらぬ厳しくもあたたかいお言葉が、懐かしい文字が、何度も何度も読み返しているうちに

涙で滲んだ。

 医師という仕事を続ける中で、私は常に、「畦道」でありたいと思う。そして今、心の中に今なお

“恩師”として存在する住職が実践されたことの一端を、次代の人たちに還元していかねばならないとも

思っている。

(医科芸術、6月号、2002年)