原 紀道先生を偲んで

   世の中に“師”と呼ぶべき人は多い。考えてみれば一期一会の出会いにも学びがあり、

まして専門の皮膚科領域では、得難く、貴重なことを教えてくださる先生は数知れない。

実にありがたいことだと思っている。



 その得難い“師”のお一人、原紀道先生が鬼籍に入られた。思いがけない訃報にしばし

慟哭すると同時に、感謝の念が心を満たす。



 原先生との関わりは、実は始まったばかりであった。昨秋、ある依頼原稿を書くべく準

備を進めていたところ、先生が著された論文に出会った。不躾ではあったが、お目にかか

って直接教えていただきたいと思ったので、その由、手紙にしたためた。ほどなく返事を

いただき、私の要望は快諾された。



 平成13年12月14日(金)、私は原先生がお住まいになる鎌倉市に向かった。晩秋

のなごり漂う師走の一日であった。



 鎌倉駅に着き、駅内で美味そうな匂いにつられてラーメンを食べた。約束の時間にはま

だ十分余裕があった。



 鎌倉は、今なお歴史の息吹を感じさせる街だ。この年放映されていたNHKの大河ドラマ

「北条時宗」をおもしろく観ていたため、多少の親近感がある。駅から五分ほど、先生の

お宅までの道をゆっくり歩いた。



 白を基調とし、意識的な緑色を配した洋館風な医院は、なぜだか、お目にかかる前から

先生の清々しいお人柄を想わせた。そしてそれはまったく裏切られることはなかった。や

さしい笑顔で迎えてくれた先生。私といえば、間の悪いことに駅で食べたラーメンのあお

りで汗だくとなっていた。ハンカチで顔をふき、非礼を詫びながらの初対面だった。先生

は、千葉大38年卒の、神奈川県皮膚科医会の重鎮。私の質問の前に、最近、癌の手術を

されたばかりだと告白された。



 迂闊だった。そうと知っていれば、先生にこんな負担をかけずに手紙で済ますこともでき

たはずだ。私の額から、さらなる汗がにじみ出し、頬を伝わるのが分かった。



   しかし先生は、静かに、ゆったりと質問に答えてくださり、あまつさえ、先生ご自身の

抱負を語ってくださった。二時間があっという間に過ぎた。私にはこれ以上ないほど有意

義であったが、先生にとってはどうだったろうか。まだ体調が万全ではないはずの先生が

それでも“やさしい笑顔”を崩さず、終始された。有難いことであった。



 厚かましくも辞する時、写真を一緒に撮らせていただいた。快く応じてくださった1枚

の写真。これが先生と私との最後の記念写真となるとは・・・。



 帰りは、せっかく来たのだからと思い、鶴岡八幡宮から源頼朝の墓の辺りを散策した。

木々の紅葉がわずかに残り、師走であることを忘れさせるぬくもりと静けさ・・・、心穏

やかに鎌倉を後にした。



 その後、先生から“主張”や“随筆”などが送られてきた。なんとやさしい心くばりだ

ろう。うれしく、興味深く読ませていただいたのは言うまでもない。



 偶然、ご逝去を知ったのは平成14年の7月はじめ。まさかと目を疑った。つい半年前に

お目にかかった時の、お元気そうな様子からは到底信じられないことだった。あの日の情

景が、先生の“やさしい笑顔”が、走馬灯のように脳裏を去来した。



   お目にかかって以後の、皮膚科医としての力量ばかりか、人間的な先生の素晴らしさを

知れば知るほど、この度の訃報は残念でならない。宿命とはいえ、人間の死の重さは計り

知れない。わずかな時間だったとはいえ、私は原紀道先生と直接お会いできたことを、私の

人生のよすがとしたい。いまだに心に立ったさざ波は静まることを知らないが、ご冥福を

心より祈るばかりである。



 合掌しつつ・・・・。