パリの小さなコンサート

   私はオーディオマニアの端くれである。これまでずいぶん、良い音を

求めて散財に散財を重ねた。その挙句、ハタと気付いた。私には“絶対

音感”など無いに等しい。いくら素晴らしい音響機器を揃えたところで、

その演奏の価値は、“自分が感じること”でしか測れない。一部のオ

ーディオマニアは、「これぞ“原音再生”である」と、自らの装置の音

を自慢して憚らない。その価値判断に私は、少しばかり疑問を持ったの

である。



 それで数年前から、二つの装置をあまり手を加えることなく、別々の

部屋で使い分けることで満足してきた。



 この判断は正しかったように思う。この度、世紀の変わり目の十日ほ

どをパリで過ごし、本場の演奏を聞き、その思いを深くした。パリでは、

いやヨーロッパではと言っていいと思うが、楽器、特に弦楽器の奏で

る音がとても艶やかで、かつ爽やかであることを体験した。コンサート

会場の広さも関係しているかもしれないが、日本で聞く音との違いが歴

然としており、日本でいう、“原音再生”とは一体何なのであろうかと

不思議な思いさえした。



 元旦の夕方、私たち夫婦は、カルチェラタンの一角にある小さな古い

教会にいた。世紀末のパリに到着してからずっと晴れの日が続いて、「

この時期のパリでは珍しいこと。あなた方は幸運だ」と言われていたの

に、世紀が変わったとたんの雨模様。タクシーで教会に着いた頃も小雨

であった。



 ただ私たちは、これからこの静かな佇まいの教会で行われるコンサー

トに、期待で胸を高ぶらせていた。



 パリには「PARISCOPE」という、様々なイベントが記載され

ている250頁ほどの小さな週刊誌がある。その音楽欄で、この日の

コンサートを知った。アルビノーニのアダージョ、パッヘルベルのカノ

ン、モーツアルトの夜想曲、ヴィバルディの四季。この演奏曲目が目に

入ったとたん、「これは遠い日本からやってきた私たちのために用意さ

れたものではないか!」と勝手な勘違いをしたほどうれしくなった。家

内は殊の外カノンが好きだ。早速予約の電話を入れたのは言うまで

もない。



 五時開演だが、四時半には着き、中に入るとまだ十人ほどしか来てい

ない。ぎっしり並べられた椅子を数えると百席強。五分経ち、十分経つ

うちに、少しずつ席は埋まっていったが、開演十分前でもまだ空席が、

目立った。「元旦だからこんなものなのだろう」と思っていたが、何と、

定刻には満席になり、入り口の扉はしっかり閉められた。



 その直後。無遠慮に扉を叩く音とともに女性の絶叫が聞こえた。一足

遅れたために入れなかった不満をぶつけているらしい。

「絶叫の声は、どの国も同じね」

隣の席に座っていたアメリカ人の女性が話しかけてきた。一人旅だとい

う彼女は、四日にパリを立ち、日本に向かうという。



 定刻、弦楽四重奏の開始。まずはモーツアルトの軽快なアイネ・クラ

イネ・ナハトムジーク。会場の広さにみあった十分な音量、それぞれの

弦が奏でるみごとなハーモニー、主導する第一ヴァイオリンや豊かさを

かもすチェロの音は殊に絶妙であった。この曲の華麗さを表現する言葉

を私は知らない。



 パッヘルベルのカノンも、もちろん素晴らしかった。高校時代を東京

で下宿生活した息子に、私はCDを持っていったが、その中にカノンが

あった。当時、息子を心配した家内はしばしば下宿を訪ね、留守居の部

屋で何度も聞いた。カノンを耳にする度に、何かしている途中でも家内

の手が突然止まるのに気がついたのは、息子が大学生になり、医師にな

り、次第に親の手を必要としなくなったからだろうか。この日の演奏中

も、家内は身じろぎもせず聞き入っていた。懐かしさを心の奥深くで聞

きわけていたのかもしれない。



 アンコール曲は新春にふさわしい「ラデッキー行進曲」。感動さめや

らぬ観衆はもう一度だけアンコールをし、絶賛しながらもいさぎよく退

場した。その態度は、いかにも紳士的であり、疲れているであろう演奏

者への心くばりが感じられた。



 元旦から熱心に音楽を楽しむ人々、美しいマナー、それに応える素晴

らしい演奏・・・、この日のコンサーとは、今回のパリ旅行で最も印象

深い思い出となった。それにしても、日常のすぐ近くで、美しい音楽を

聞くことのできるパリの人々の暮らしが羨ましい。



(医科芸術、5月号、2001年)