静岡の旅(その一) −我が家のルーツ 

 

 私の父の出身は静岡市である。しかし、今までなかなか行く機会がなかった。今年の秋

の学会が浜松市で開催されるので、前日に寄ってみることを思いついた。父の弟である叔

父が駿府城のすぐ近くに住んでいる。父もその叔父も駿府城の中にある学校に通っていた

という話を聞いたことがある。今まで何故父の出身が静岡なのか難の疑問にも思わなかっ

た。

  昨年の夏、「異本病草紙」という平安時代の絵巻物を調べる機会があった。そうした歴

史に接しているうちに、いつのまにか我が家のルーツにも興味を持つようになった。叔父に

連絡したが、戦災で家系図は焼けてしまったのでよく分からないという。しかしできるだけ

調べてみようという返事をもらった。

  平成十年十月二十九日昼、静岡市に着いた。叔父が迎えに出てくれていた。静岡市は

随分昔に訪れただけなので、大きく近代的になった町並みに昔の印象は残っていない。昼

食は、江戸時代から続いているという有名な「とろろ料理店」でご馳走になった。

  その後、「日本平」に登った。しかし、曇っていたため富士山はおろか駿河湾すら見えな

い。観光客にもほとんど会うこともなく、閑散としていた。かつては観光地百選に選ばれた

有名な観光地であったことがうそのようである。美しい富士山のあるあたりをしっかりと脳

裏に描きながら下山した。

  その足で「顕光院」というお寺で亡き祖母のお墓参りをした。気丈なしかしとてもハイカ

ラな祖母だったと聞いている。今回の我が家のルーツを最もよく知っていると教えられて残

念に思った。

 

 叔父の家で、夕食を御馳走になった。いろいろな話題が花開いたが、やはり我が家の

ルーツが主題となった。それまで、ほとんど興味のなかった叔父も服部家のルーツに興味

を持ち始めてくれたようである。そして叔父は、私たちが来るまでにいろいろなことを調べて

おいてくれていた。明治初期の戸籍謄本もあった。旗本三百石の武士であったという話も

聞いた。

 

  我が家のルーツが分かったところで現在の私たちになんのメリットもない。しかし、いろ

いろな人生を歩みながら連綿と続いている人の歴史、それも身内の歴史にはそれなりの重

みが感じられる。ひょっとしたら徳川家の家来だったかもしれないなどと、夢のような思いに

も駆られる。

 

  浜松市で家内は、我が家の家紋が服部正成(半蔵)家のものと全く同じことを浜松城の

中の展示で見つけた。「源氏輪に二つ切り竹」という家紋で比較的珍しいものである。それ

では伊賀国あたりの出身なのかと、どんどん夢は広がっていく。

  高崎に帰って叔父から電話を頂いた。我が家のルーツをもっと調べてみたいという連絡

であった。滅多に会うことも話すこともなかった叔父と共通の興味が持てたことがとても嬉

しかった。家のルーツを調べるということは、実はこのような思いがけないことも与えてくれ

たのである。