静岡の旅(2)−豊川稲荷

 

   私の出生地は愛知県豊川市である。しかしなぜか今まで訪れた記憶がない。        

  前日の静岡を後にして、学会場である浜松に新幹線で向かった。叔父の家で飲み過ぎたせ

いか、車内では隣の家内にすべてを任せてすぐに寝入ってしまった。掛川到着のアナウンスは

覚えているが、浜松ではすんでのところで降り損ねてしまった。初めての体験である。安心して

任せた家内もどうした訳か浜松の手前で寝入ってしまったとのことである。            

  全く偶然にも豊橋で降りる羽目になってしまった。すぐ近くに豊川市があるという。これも縁な

のであろうと思いながら、豊川に向かうことにした。                          

  田園風景のなか十五分ほどで豊川駅に着いた。新装なったと思われる豊川駅を降りて駅前

に立った。私が思っていたよりもずっと田舎の小さな町である。五分ほど歩くと、かの有名な「豊

川稲荷」に到着した。今度は予想をはるかに上まわる大きなお寺と神社があるのにはびっくりし

てしまった。                                                  

  我が国の三大稲荷の一つで、有名な名刹と聞いている。豊川稲荷本殿は、丁度長野の善

光寺を思わせる壮大さであった。両脇にある大きな狐の像がしっかりと私たちを迎えてくれた。

本殿の中ではなにやら読経とご祈願を受けている人達を見つけることができた。折角来たのだ

からと、「立願所」でご祈願をお願いした。その時のお金の額で待たされる部屋がそれぞれ違う

のがおもしろかった。                                            

  しばらく待っていると修行中と思われる若いお坊さんが、私たちを招いてくれた。「通天廊」と

いう広い廊下を整った美しい庭を見ながら歩き、そして本堂に座った。              

  しばらくすると独特のリズムを伴った御真言が始まった。座っているのは私たち二人と、もう

一人の中年の女性であった。その女性は、いかにも落ち着き、慣れている仕草でその場でお参

りをされていた。                                               

  尊い御真言も終わり、お昼の精進料理を食べる時、その女性が前にいるのに気付いた。何

気なく話しかけてみた。その女性は岐阜県の方で、お父様は毎月豊川稲荷を詣でていらっしゃ

るとのことであった。もう六十年も続いているという。今回は体調を崩されていて、代わりにその

女性一人で詣でて来ましたというご返事であった。これほどまでに豊川稲荷が密着していること

を知ってまさに驚きであった。                                       

  「奥の院まで行ってみますか」というお言葉に甘んじて同行させて頂いた。「私の父はいつも

こうするのです」とおっしゃりながら、いろいろな堂塔をお参りさせて頂いた。           

  「これも縁ですね」と言うと、その女性も頷いて下さった。血圧が相当に高いというお話を聞い

て、絶対に病院に行かなければなりませんと念を押してお別れをした。その後まもなくその女性

は、わざわざ私たちの名字の竹の印鑑を購入されて、走りながら私たちを探して、駅前で手渡し

て下さった。とても嬉しい出来事であり、そしてまさに縁であると思った。その地は、なんの印象

もないけれどまさに私の出生地だったのである。のどかな小春日和の静寂な一日であった。 

  自宅に帰ってまもなく、私は一緒に撮った写真を送らせて頂いた。数日後、びっくりするほど

達筆な毛筆で書かれたお礼状が届いた。読んでみると、お礼とともにまだ高血圧では病院に行

っていませんというお詫びが書かれていた。                              

   私は、出生地である豊川に初めて、偶然訪れる機会が持てたことにつくづく感謝している。

それは、すばらしい「豊川稲荷」を体験させて頂いたことと、信心深くお参りする素敵な女性に日

本人の信仰の原点を見る思いがしたからである。