ベローナ−その1

高崎市医師会 服部 瑛

 

はじめに

 旅することはいつも楽しいひとときである。美しい風景、知らない日常生活など、特に古い時代の余韻に触れる 時、私の脳裏には心地よい旋律が流れる。さらに旅はおおむね、おもいがけない人との嬉しい出会いがある。

  ほぼ1年前、千葉のK先生から、べローナでのオペラ鑑賞と観光にいかないかとのお誘いがあった。皮膚科では 8月は忙しい時期だが、与えられた機会は素直に受けたほうがよいとの思いから、了承した。活動的に行動できる 残された時間は意外に少ない、と言ったら生意気かもしれない。ことにベローナのオペラ鑑賞などは、私一人で企 画できる旅ではないことは確かである。

 1年前の予約とは随分早いが、オペラを聞くよい席を確保することと、イタリア北部の小さな街ベローナでは会 場まで歩いて行けるホテルの確保が至難だからである。

世界を相手にする日本人たち

 ベローナでの思いがけないオペラ鑑賞、その時はあっという間にきた。2004年7月29日(木)昼、私たち 一行7名は成田発。夕方ミラノ着。一泊して翌日午後ベローナへ。

 ミラノでは14世紀の修道院を改修したというフォーシーズンズホテル・ミラノ泊。私には滅多に泊まれない5 つ星の高級ホテルである。分不相応であるが、そこで新しい発見をした。浴槽とシャワー室がまったく別々にあっ たことである。今、皮膚科的立場から日本の入浴習慣を調べている最中であるが、昔から日本では仏教思想に基づ いて入浴を奨励したが、イタリアなどのキリスト教社会では禁止されていた。そのため日本以外では、シャワーと いう簡便な習慣が日常的になったように思われる。いままで私の家にホームステイした男女は、朝のシャワーだけ で簡単にすませていた行為がよく理解できた。つまり、ヨーロッパやアメリカでは湯を浴むという習慣は基本的に はないのである(この件に関しては、いずれ詳しく述べたい)。

  ベローナでは、H氏夫妻がオペラの席とホテルを用意。そしてオペラを鑑賞するためにベローナを訪れた多くの 人たちを紹介してくださった。それらの人たちは皆H氏と関係がある人たちだ。ナポリ大学考古学教授のP先生( 数年前東京で開催されたポンペイ展の主催者の一人)、ロンドンの会計士、イタリアの著名な画家などなど。日本 人のH女史は、ユネスコの高い地位だった方で、2年前UNIDO(United Nations Industrial

 Development Organization)に引き抜かれたそうな。現在ウィーンで精力的に活動されている。すてきな若い日本人女 性部下を連れて来ていた。オペラで世界中歩き回るT嬢。それらの人たちと楽しく語り合った。

  ある夜中、ベローナの街を皆で歩いていたら、一台の車が突然止まってバック。そしてH氏にわざわざ挨拶した 男性がいた。驚くなかれ、その人物はテノール歌手で世界的に有名なドミンゴだった。びっくりした。

 H氏夫妻やH女史たちの行動を拝見して、今や日本人は世界中に大きく羽ばたいていることを間近に知ることが できた。嬉しく頼もしい体験であった。

アレーナでのオペラ鑑賞

  ベローナは野外オペラでも有名なところである。古代ローマ時代に建造された円形劇場(アレーナ)で開催され る野外オペラには、夏のこの時期世界中から熱狂的なファンが訪れる。ベローナの円形劇場はローマのコロッセオ を少し小さくしたものだ。イタリアでは3番目の大きさ。かの有名なベルディ生誕100周年(1913年)を記 念して始まったオペラの企画だと、K先生から送っていただいた資料から知った。戦後最大のオペラ歌手といわれ たマリア・カラスはイタリア初舞台をこのアレーナで行ったという。

  今年のオペラ音楽祭は、6月19日から8月一杯行われる。演目は、「Madam Butterfly(

 蝶々夫人)」,「Aida」、「Il Trovatore」、「La Traviata(椿姫)」、「La Corona di Pietra」、そして「Rigoretto」、 で、毎週どれかが上演されるが、この音楽祭で有名な「Aida」がもっとも多く上演される。解説書でみたら、今年 の「Aida」は17回の上演。この作品は、もちろんベルディ作で、スエズ運河の開通を記念して制作されたものだ 。

 開演は9時だが、日本と違い、まだ外は十分に明るい。しばらくして暗くなり、円形劇場からは座席正面に月が 美しく映え、少しずつ斜め上に移動していくが、それも美しく一興である。

 初日、「La Traviata」。オーケストラと歌手の演奏はとても良かったが、舞台装置は奇抜すぎてせっかくの好演 が台無しになったように思った。ナポリ大学のP教授も同じ意見。12時半過ぎに終了し、食事。ベローナを熟知 しているH氏の提案で、ワインが3000種類もある(店主談)というレストランへ。夜中の3時まで語り、上等 なワインを堪能した。

 2日目は「il Trovatore」。これには心から感動した。舞台装置も歌手もオーケストラも素晴らしいの一言。多く の声援で、曲の途中でアンコールがあったが、珍しいことではないだろうか。観客は、感動する演奏途中、声ばか りでなく、床を靴で鳴らす。私も大声を出して、そして床を鳴らしていた。終演後また前日のワイン・レストラン へ。P教授も感動したようで、私たちが教えた「素晴らしかった」という日本語を繰り返していた。

  3日目、「Aida」。随分楽しみにしていたが、可もなく不可もなし。アイーダの歌い方が抑揚がありすぎるよう に思えた。しかし十分に楽しめた。この夜は、やはりH氏の計らいで、某レストランへ。奥の特別室で乾杯。

 この日はドミンゴの誕生日で、私たちが着く少し前までその部屋で誕生祝いをやっていたとのこと。残されたド ミンゴの顔写真入りのケーキが運ばれてきたが、おそらくH氏への配慮なのであろう。「アイーダ」でラダミス役 のSalvatore Licitraがわざわざ挨拶に来てくれた。歌はとても巧いが、太って身長が今ひとつなどと生意気なことを 感じていたが、人なつっこい顔を見たらたちまちファンになってしまった。

 H氏が声をかけると、オペラに関係した誰かがかけつけてくれた。そう言えば、前日も有名なダンサーが顔を出 していた。H氏は流暢な英語を話すわけではないが、接する誰もが好感を持って相対する。何故かと思ってみてい ると、誰に対してもさりげない心配りが常にあった。私には到底真似はできそうにないが、とても勉強になった。

 また午前3時にホテルにもどった。疲れ果てて何はともあれベッドに横になった。

              (つづく)