PDA学会参加紀行

   服部 瑛   

 目が覚めてふと窓ごしに機外を見ると、はるか眼下に一面に広がる砂漠と大きな山々の連なりがくっきりと眺められた。いままでみたこともない広大な景観である。緑や林も、人気も全く感じられないが、延々と続く道路が確認できた。こんなところを車で走ったらさぞや大変だろうと思って見入ると一台の車が小さく見えた。しばらくして3機ほどの小飛行機がはるか下を通り過ぎた。飛行機が必需な地域なのであろう。次第に人家が大きく見えるようになり、平成15年8月19(火)朝9時過ぎ、私の乗っている飛行機はラスベガスのマッカラン空港にゆっくりと降りたった。
 そもそもPDA(Pacific DermatologicalAssociation)学会は知る由もなかったが、なぜか加藤友衛先生(日本臨床皮膚科医学会会長)から参加しないかというメールを5月頃いただいた。学会が予定された8月は忙しいこともあり少し躊躇したが、いま行かなければ後で後悔するかもしれないと思い、承諾することにした。いつのまにか私などの年代は、いつかという時間的余裕はなくなってきている。与えられたチャンスはできるだけ利用、享受しなければならない。患者さんには迷惑になるが、スタッフには従来の夏休みを変更してもらい、その準備をすすめた。
 学会場(JW MARRIOT HOTELは飛行場から40分ほどの、ゴルフコースに囲まれた巨大なリゾートホテルである。まず、大きなバスルームも併設された広い部屋に落ち着いた。今回の参加者は加藤友衛夫妻、故原紀道先生夫人、そして私と家内の計5名。ホテル内のレストランで昼食を済ませ、広いホテル内を散策した。もちろんホテル中央にはカジノがあり、ラスベガスに来たことを実感させてくれた。
 成田からのフライトでは僅かしか寝ていないので、少し休むことで合意。アメリカでの時差ぼけ対策は、ヨーロッパのそれとは少し異なるようだ。通常ヨーロッパでは夕方到着するので、寝る時間まで我慢して熟睡することでおおむねその後の快適さが保証される。朝到着する今回の場合はなかなか難しい。夜までには時間がありすぎる。
 休息後夕方6時、予約しておいたタクシーに乗って皆でダウンタウンに向かった。おそらくラスベガスではもっとも大きい「ベラージュ」ホテルへ。ホテル前には小さな人工湖があって、それを取り囲むようにパリのエッフェル塔や凱旋門のミニチュアがみられる観光名所だ。人工湖では30分おきに音楽とともに噴水のショウが堪能できるところでもある。そのあたりを少し散策してから、予約しておいたイタリアンレストランへ。意外にもおいしい料理が運ばれてきて、ワインとともに堪能した。
 10時半から「MYSTERE というショーの鑑賞。ラスベガスはカジノだけでなく、ショーも劣らず有名なところである。加藤先生らはホテルでいろいろなショーの予約を試みたが、特に有名な「オー」は6か月待ちとのことで断念。ちょうど来ていた「セリーヌ・デオン」も満席でダメ。「MYSTERE は幸運にもようやく取れたとのこと。サーカスを混ぜたエンターテインメントである。もちろん満席だった。待っている間道化師が客を喜ばせている。なぜか私の前に来てポップコーンを一個ずつゆっくり投げてくれた。私にライトがあびせられた。騙されて大きく口を開けた途端、道化師が持っていたポップコーンを全部私に投げつけた。この意外性に客は大喜び。まんまと私は罠に嵌ってしまったようだ。
 12時過ぎて閉演。奥様たちは堪能したようだが、私はとにかく眠かった。ホテルに帰ってシャツを脱いだら、投げつけられたポップコーンがたくさん出てきた。
8月20日(水)。10時まで寝入った。掃除の女性に追い立てられて、仕方なしに加藤先生らに電話して昨日入ったレストランで朝食。5名に加えて、この席で日系2世の三浦正子先生にはじめてお会いした。冗談で70歳ですかと訊ねたら、89歳だとおっしゃる。びっくりした。これから先、三浦先生の活動的な行動に驚嘆し続けることになるのだが・・・・・。
朝食後学会場で手続きをする。まだウェルカムパーティまでには十分に時間がある。昨日運転手から聞いた、できたばかりのショッピングモールへ行ってみようということになった。様々な店が並んでいる。外の気温はおそらく40度前後なのであろう(出発前インターネットで確認)。暑いが湿気は全くない。街路灯の代わりに水蒸気の出る装置があちこちにみられる。湿度の調節のためなのだろうか、あるいは冷房のためなのかよくわからない。ゆっくりショッピングを楽しむ。しかし加藤先生と私は所在なし。おおむね男性はこうしたところが苦手と思われる。
 6時ウェルカムパーティ。少しずつ参加者が集まってきた。壇上の挨拶などないし、ネクタイなど締めない気楽なスタイルで皆参加している。夫婦同伴が多い。加藤先生、原先生夫人はしばらく振りに会った知人らと懐かしそうに挨拶、そして談笑がはじまった。ちなみに加藤先生らはこの学会には2年振りとのこと。89歳の三浦先生も多くの人たちと話していた。ご高齢だからといってもごく普通の対話で、先生を特別視する風もない。2時間ほどで参加者は少なくなった。
 8月21日(木)。7時半頃加藤先生より電話で起こされる。すっかり寝入ってしまった。準備をして急いで学会場へ。日本では最近モーニングセミナーと称して食事をするが、ここでは学会場脇にコンチネンタルタイプの朝食が用意されていた。8時定刻に学会開始。前列3列目ほどに加藤先生と私は席を陣取ったが、そのすぐ前に三浦先生が熱心に聞いておられた。見渡すとネクタイなど締めている参加者など一人もいない。Tシャツかワイシャツ姿でまるで学生の講義のようだ。会頭の挨拶は冗談を交え、きわめて短かった。日本でよく聞く演者への決まり切った紹介などない。CPCでは多くの質問があったが、質問者の氏名など言わない。勉強するという学会の目的がはっきりしていると思った。心地よく次々に演題が進んでいった。
 ちなみに初日の演題には、PDA Historian's Report(ここで加藤先生も紹介されていた)やHistory of Dermatology in LasVegasというユニークと思えるものがあった。参考までに今回のプログラムを表1に紹介させていただく。最も注目されたことは、学会の評価法がしっかりしていることだった。演題の評価は厳密で、各演者は表2のごとく細かく採点される仕組みになっている(表2は3日目のもの)。日本の皮膚科学会においても、私の所属する東部支部学術大会では数年前から学会内容の評価が実施されているが、なお検討の余地があると思われる。このPDA学会のようにすべての演題の評価は無理にしても、重要な演題だけでも具体的、客観的な評価は必要なのであろう。来年の宮地良樹教授会頭の日本皮膚科学会総会(京都)の新しい試みが楽しみである。
 ホテル内で、三浦先生とともに昼食と談話。「なぜ毎年参加されるのですか?」「勉強することが楽しいからよ。」、「なぜもう必要のない皮膚科の勉強をするのですか?」「新しい情報を友達に教えなくてはね。」、「なぜそんなに早く歩けるのですか?」「アメリカの人たちは大きいから、ついていくためには仕方がないの。」、「人生は楽しいですか?」「楽しまなくてはダメよ。」といった具合。その姿勢にただただ驚嘆するとともに賛嘆した。
 午後の演題は1時から。午前と同じようにコンパクトながら興味深い話題が続いた。時差ぼけのせいか無性に眠くなって困った。ふと横をみると加藤先生は姿勢正しく眠っていた。これは特技だと思った。
 夕食はホテル内のイタリアンレストランで楽しむ。夕食後原夫人の部屋で三浦先生とともに歓談。いろいろな楽しい話が飛び交った。
 8月21日(金)。6時起床。本日の午前はフリーな時間。女性たちはフーバーダム見学だが、加藤先生と私は学会主催のゴルフトーナメントである。すぐ近くのエンジェルパーク・ゴルフクラブへ向かった。このゴルフ場はアーノルド・パーマー設計の名門コース。プロのトーナメントも行われるところだという。36ホールだが、今回はマウンテンコースでのプレー。青マークからプレイしろとの指示。心地よくプレーを始めたが、日本のような100ヤード、50ヤード刻みの距離表示がない。コースガイドブックを買ったが、それでもよく分からない。2打目からは距離勘のみで打つ羽目になった。快晴で空は高く、周りは砂漠と独特な形をした山々が眺められた。気温は高いが、乾燥しているせいか汗ばむことはない。フェアウェイのみで僅かなラフ、その先はすぐに砂漠。グリーンは夏の炎天が続いているせいか硬くアイアンショットのボールが止まらない。そして速い。難しいコースといえる。コースに負けないようになんとか我慢してプレーしたが、最後の2ホールでトラブル。よいショットだと確信していたのに、予想外の1ペナルティとロストボールが続いて結局87(パー71)。不本意である。加藤先生は華麗なフォームで攻めたが、ところどころで小さなミスが重なり、やはり不本意な成績となった。後で成績表を見たが70台は2名いて、私の成績は丁度中間くらいだった。アメリカの皮膚科医はゴルフ上手が沢山いるようだ。
 プレーを終えてホテルに戻ったら、女性たちもフーバーダムから丁度帰って来た。1時過ぎ皆で昼食。学会は始まっていたが、あまりにゴルフで疲れたため仮眠したところ5時まで寝入ってしまった。学会どころではなくなった。三浦先生は、その後しっかり演題を全部聞かれたそうな。恥ずかしいことだ。
 6時から会頭招宴特別パーティ。このパーティは特別の人たちしか参加できないのだが、ウェルカムパーティの際、原夫人がお願いしてOKをとったものだ。正装して参加。特別な部屋ですでに歓談が始まっていた。やはり日本で常識になっている決まりきった挨拶などない。それぞれ思い思いに歓談していた。会頭に挨拶して、私たちもその談笑に加わった。
 8月22日(土)。7時起床。朝食は展示ブースのなかで食べた。学会場脇には日本での学会と同じように展示ブースがあるが、そこでの朝食とはおもしろい発想だ。藤沢薬品のタクロリムスの展示があった。アメリカ製の小児用の免疫抑制剤クリーム
(pimecrolimus cream)も紹介されていた。この現状から、できるだけ早い時期にタクロリムスのクリーム基剤の開発が望まれる。乾癬の新しい薬剤もいくつか紹介されていた(サイトカイン製剤)。日本で承認されるか否かは疑問だが・・・・・。
 8時から学会開始。12時半までしっかり聞いて中座したが、各演題とも時間延長で、まだ2つのシンポジウムが残っていた。
 この日の夜は、会頭招宴パーティ。全員参加ではなく希望者が有料($75)で参加できる。立食ではなく席が決められていた。パーティ前の歓談でTuffanelli先生に偶然にお会いした。私の研究テーマだった全身性強皮症の大家である。感激してその旨をお話した。日本には6回来日されているそうな。
 食事中、歌手や手品師が私たちを楽しませてくれた。プレスリーもどきの歌手は学会の司会をしていた皮膚科医だった。そして最後は皆でダンス。私は、三浦先生そして原夫人と踊りを堪能した。故原紀道先生、怒ることなかれ。加藤先生は、マリリンモンローを模した女性に絡まれた。まんざら悪い気でもなかったのではないか。
 パーティの帰りカジノを通ったので、「せっかくラスベガスに来たからには、記念に一度くらい遊んでみましょうよ」と、全く興味を示さない皆さんにお願いした。僅か10ドルを分けて、5分ほどで戦果は15ドル。タクシー代にもならないが、これで心おきなくラスベガスを去ることができそうだ。
 8月23日(日)学会最終日。6時起床。7時に朝食に行ったら、すでに多くの人たちが食事をしていてびっくり。8時にはマッカラン空港に行かなければならない。会頭や知り合った人たちに挨拶し、再会を約して別れを告げた。
 もし可能ならば、また参加したい学会だと思った。ラスベガスに到着した初日原夫人が、「初日は長いけれど、あとはすぐね」とおっしゃっていたことは本当だった。数多くの新しい発見、出会いがあった。ご高齢ながら精力的な三浦先生の生き様は強烈だった。学会運営に関しても教えられることが沢山あった。
 第20回日本臨床皮膚科医学会総会・学術大会会頭は加藤友衛先生で、平成16年5月ホテルオークラ(東京)で記念大会が開催される。そして第21回大会は私が会頭となり、平成17年6月メトロポリタンホテル(高崎駅内)で開催される予定である。加藤先生は、私にPDA学会を体験させることで日臨皮学会運営に関して大きな宿題を与えてくれたように思う。PDA学会はそれほどに印象深い学会であったといえよう。