方向音痴

服部 瑛

 自慢にもならないが、私も家内も紛れもない方向音痴である。知らない街角で、どちらかの道を選ぶ時、大体、目的地と逆方向に歩いていることが多く、しばしば夫婦喧嘩になる。子細、状況はご想像いただきたい。

 今夏、私たち夫婦と娘、そして友人を交えてニューヨークに旅立った。新聞・テレビ等で毎日、この街の名を見聞きしない日はなく、なんとなく身近に感じていたが、実際の飛行時間は長く、意外に遠い地だと知った。

 さて翌日、私たちは意気揚々と大都会ニューヨークの街に繰り出した。よく知られているように、この街は広大なセントラルパークを中心に、南北に走るアベニューと東西に通じるストリートが碁盤の目のように整備されている。地図で確認すると、それは京都の町並みよりさらに整然としているように見え、どれほどの方向音痴でも、道を間違えることなどあり得ないと思えた。

 しかしこの分かりやすさが盲点であった! 私たちは「近代美術館」を目指した。総勢四人。それぞれ頭に入れていた地図を思い浮かべながらブラブラと歩いていった。

 難なく着いた、と思った。が、違った!

 入口で、念のため確認したところ、そこは図書館であった。どこでどう勘違いしたのか、私たちは全く逆の方向に歩いてきていたのだった。まだ午前中だったとはいえ、真夏の陽が照りつける中、もとに戻って何とかたどり着いたが、所用時間一時間。十分で着けるはずだったのに、何ということか。

 京都だったら周囲の山々が方向指標になり得る。しかし同じような高層ビルが建ち並ぶニューヨークでは、現在地を確認する目標物は無きに等しい。

 二日目。失敗は二度と繰り返すまいと、私は地図を手にしっかり持って、「メトロポリタン美術館」へ。第三アベニューを真っ直ぐ北に向かって、W86ストリートを左に曲がり、いともたやすく到着。何と簡単な街だ!

 三日目。とあるイタリアレストランに向かった。昨日と同様、地図を片手に確認しながら歩いたのに、逆の道に入ってしまった。これは言い訳に聞こえるかもしれぬが、ホテル側の指示ミスであった。現地人でも整然としすぎている町並みのため間違えることがあるということだろう。

 道を訊きながらようやく到着。帰りはロックフェラービルを通って戻った。

 四日目。ダウンタウン街を巡るバスに乗って市内観光。このバスは約五分おきに順次回っており、好きな場所で降りることができる。あいにく小雨模様だったが、途中二か所ほど降りて観光した。巨大なエンパイヤステイトビルを仰ぎ、海上の「自由の女神」を遠望。決められたコースしか走らない日本の観光バスと違い、さすが個人の自由を尊重する国ならではのものだとおもしろかった。

 ブロードウエイで降りて昼食。家内の自信に満ちた説明でロックフェラービルに到着。 そこまでは何の問題もなかった。

 あとは昨日の道を帰るだけだと気を許したのがいけなかった。迷いに迷って、結局歩きづめになった。夜と昼の景観が全く違って見えたからかもしれない。皆、ニュウーヨークという街の位置感覚に疑心暗鬼になってしまったのか、口数が極端に少なくなった。

 方向音痴は、街路がいくら整然としていてもたやすく間違えるものだと思い知り、私は茫然と事実を認めるしかなかった。ニュウーヨークのように目標物が少ないところでは、整然としているからこそ、なおさら間違えやすいのかもしれない・・・・・。

 五日目。あえて遠回りしてでも納得できる道を歩いた。すると、住所や道に関しては極めて分かりやすい街だと、いまさらながら認識した。この心境に至るまで、一生懸命努力して、四日も費やした。自ら認めるのはちょっと悔しいが、私たち夫婦の方向音痴は今回の旅でも解消されなかった。

 教訓。一人で歩くと間違えないが、数人で歩くとかえって間違う。人生も同じかもしれない。他に依存しない、自らの歩みが何にも増して大切なのだ。

 追記:この旅から帰って丁度一か月後、世界を揺るがす大惨事が、このニューヨークで起きた。事故に遭われた方々のご冥福を心より祈りばかりである。

(群馬県高崎市)