【アフリカへ行きました】
 
23)火鉢と湯たんぽ
 
マサイ・マラは赤道直下とは言え、標高が高い(1800メートルくらい)こともあって年間平均気温は18度前後。
日中の直射日光はきついのですが、夜半から早朝にかけてはとても冷え込んで寒いでした。
事前に調べたところでは、どのガイドブックにも、旅行会社のパンフレットにも 《現地は寒いこともあるからフリースとかセーターを持っていった方がよい》と書いてありました。
勿論、私はそのアドバイスに従順に従って、セーター、フリースのジャケット、ウインドブレーカーなどを用意していって大いに重宝しました。
早朝のゲームサファリは勿論、モーニングコーヒーを戴きに行く時や夕食の時にも、自分のコテージから管理棟にあるダイニングルームへの往復に、防寒着は欠かせませんでした。
ロッジでは電気は自家発電、水も飲水や調理にはミネラルウオーターを使い、入浴や洗顔、洗濯は川からくみ上げた水を処理して使っているのです。
電気と水、どちらも自前ですから、決して無駄に使うことは出来ません。資源は大切にしなくては・・・。
いくら暑くても寒くても、ルームエアコンなんかは贅沢のかぎりでしょう。
 
私のコテージからダイニングルームまでは150メートルか200メートルの距離がありました。
夕食の時間にはすでにとっぷり暮れていて、風でも吹くと首をすくめ、肩をすぼめてしまうくらいです。
お食事もオードブルをいただいて、暖かいスープが手元に届くまでの時間が待ち遠しい位でしたが、椅子に腰を掛けてしばらくすると何だか肩のあたりがほわほわと暖かく感じられました。
お食事の最中なのにちょっとお行儀が悪いとは思いましたが、このほのかな暖かさはどこから来るのかしらと、辺りを見回してみました。
ありました、暖かさの源が解りました。
それは思いがけなくも“火鉢”だったのです。
バケツくらいの大きさ、形をしたブリキ製の鉢に脚が付いたものの中に赤々と熾った炭が沢山入れてありました。
火鉢の脚の部分は、ちょうど腰掛けた私の肩のあたりの高さまで伸びていました。どおりで肩口が温かく感じられたのです。
”火鉢”はダイニングルームのあちこちに置かれていました。
ドラマや映画で見る時代劇のお屋敷の庭にたてられている篝火を思い出すような形をしていました。
敢えて”火鉢”と呼びましたが、日本の火鉢のように鉢の中に灰は入れていません、真っ赤に熾った炭を入れただけの”火の鉢”だったのです。
子供の頃、わたしも火鉢で手を温めていましたし、お正月には祖母に炭の上に網を乗せ、お餅を焼いて貰ったこともありました。
当時使っていた火鉢はほとんどが陶器だったと思います。ブリキ製は覚えがありません。
当時は大切な暖房の器具だったのに、時代の移り変わりと共にすっかり忘れていた火鉢でした。
日本でもその昔活躍していた火鉢をアフリカでふたたび見ることになるとは・・・本当に思いがけないことでした。

 
夕食を済ませ、懐かしい火鉢のほんのりとした暖かさを身体と心に纏いながら自分の部屋へ戻りました。
辺りが闇に包まれた夜の、火の気のないお部屋はとてもひんやり感じました。
夕食も戴いたし、あとは明日の朝のゲームサファリに備えてもう寝るだけです。
この場合、風呂好きの日本人なら誰しもが「寒い夜は熱いお湯にどっぷり浸かって暖まってから寝ましょう」と思うに違いありません。
ところが、マサイ・マラではここでもどこのロッジでも浴槽付きはなくてシャワーだけしかないのです。
要するに入浴に関しては西欧の習慣通りというわけでした。
うーん、せいぜい熱い熱いシャワーを浴びて早くベッドに潜り込むしかないと考え、即実行に移しました。
 
ほどよく暖まったところで、シャワールームからベッドへ直行です。
「おやすみなさい」とベッドへ潜り込んで足を伸ばしたら・・・・・。
『えっ?・・・なに?』 なんだか暖かいものが足に触りました。
「えーっ? なに、なに?」
びっくりして手を突っ込み恐る恐る引っ張り出してみると、まあ、なんとも可愛らしい布袋に包まれた暖かい”湯たんぽ”が出てきました。
さりげなくベッドに忍ばせられた、思いもよらないほかほかのプレゼント。
心憎いばかりの演出ではありませんか。
 
 民族色豊かな可愛いベッドカバーです。ヘッドボードの上には木彫りの動物が並んでいました。
 ベッドのなか、足下近くにはぬくぬくと暖かい”湯たんぽ”が待っていてくれました。
 朝、目覚めるまでほのかに暖かく、よく眠れました。
 
電気毛布、電気敷布に床暖房。電気コタツに電気あんか。さらに暑いにつけ寒いにつけ一日中つけっぱなしのエアコンなど、日本では電気や水を無尽蔵であるかのように使っていたことが少し恥ずかしいような気持ちになりました。
 
まだ物資の極めて乏しい終戦前後、しばらくの間私の家でも冬の暖房は火鉢、祖母は部屋の隅でひっそり豆炭のアンカを抱えていました。
火鉢は暖まる以外にお湯を沸かしたり、お豆を煮たり、父は灰皿の代わりに使って小言を言われていましたっけ。
暖房器具兼炊事道具、おまけに家族の団らんまで演出していた”火鉢”だったことを一気に思い出しました。
 
そして寒い冬の夜には、祖母や母がお湯を沸かして湯たんぽを用意し、布団の中を暖めておいてくれたものでした。
今日この頃、日本の暖房器具はすっかり様変わりして火鉢などどこにも見られなくなってしまいました。
日本では知らず知らずのうちに何気なく忘れ去っていた《火鉢と湯たんぽ》です。
ところがここアフリカでは、まだ現役で活躍しているのでした、思いがけない驚きでした。
本当に久し振りに”火鉢と湯たんぽ”の有り難さと懐かしい暖かさを思いだし、身も心も安らぎました。