【アフリカへ行きました】
 
31)ロングドライブの日 (その5) 本日のビッグ・イベント!
 
私たちのロングドライブの日の圧巻は、何と言っても夕方近くに遭遇することの出来た 《ヌーの川渡り》 でした。
 
《ヌーの川渡り》はテレビその他で時々紹介されているように、何万頭にも及ぶヌーが隊列を組んでマラ川を泳いでわたる習性があるのです。
豊富な草を求めて年に何回か、対岸のセレンゲッテイ(地続きのタンザニア側サバンナ)と、マサイ・マラとの間を行き来する事を《ヌーの川渡り》と呼んでいるのです。
 
サファリを計画した人の多くは、この《ヌーの川渡り》を目当てに、ここを訪れると聞いていました。
家族が揃って比較的長い休暇が取れるときとなると、自ずと年末年始か夏休みしかありません。
私たちの休みに合わせて訪れたマサイ・マラですから、まさかその数少ないチャンスに遭遇できるとは夢にも思っていませんでした。
何という幸運だったのでしょう。
ひとえに運の良さとガイドのマコーリさんの経験の積み重ねと勘の良さの賜だったと思います。
半年あまり経った今でも、あの光景を思い出す度に感動が甦り、手を握りしめたくなります。
 
川渡りはとても沢山の危険を伴いますが、それでもヌーたちが一年に何回か往復するのですから彼らの勇気には頭が下がります。
ヌーのリーダーがどのように考えて、どのタイミングで渡りを決行するのか解りませんが、私ならこのようなところを選びます。
  川の両側の崖があまり険しくなくて渡りに適している
  川幅がほどほどで深みが無く、流れが緩やか
  天敵のクロコダイルがいないか生息数が少ない
 
あれだけの数(私が見たものは1200頭くらいで少ない方でした)のヌーが集団行動をとるのには何か理由がありそうなものです。
彼らを「川渡り」に駆り立てるものは何なのでしょうか。
本当に餌となる草だけが問題なのでしょうか。
あるいは遺伝子のなせる技なのでしょうか。何故シマウマまでが一緒の行動をとるのでしょうか。
渡りのポイントに集結するという事は誰が決めて、どのように伝達しているのでしょうか。
とても不思議な行動だと思います。
ヒトがこのようなことを行えば「集団催眠」だとか「神懸かり」などと言われてしまいそうです。
 
実は、今回の「川渡りの達成」に出会うまでに、マコーリさんは2回も河畔に車を飛ばしてくれていたのです。
この日、現場で一部始終を目撃することができたのは、いわゆる「3度目の正直」と言う訳でした。
 
第一回目、かなりの勢いで車を走らせて駆けつけたのですが、現場に到着したとき、ヌーたちはすっかり渡り終わってねぐらを目指して立ち去ったあとでした。
残っていた最後のサファリカーもバックして引き上げて行くところだったのです。。
この時には、沢山のヌーが犠牲になったらしく、辺りには死臭が漂い、空には沢山の鳥が獲物にありつこうと舞っていました。
はじめにリーダーが渡るときは1,2列で川に飛び込みますが後はもう「我先に」と入っていくので、押されておぼれたり、波に呑まれたり大変です。
中には岩に足をとられて骨折して立ち往生したり、ワニに捕らわれてしまうヌーもいるのです。 
この時は何万頭のヌーが渡ったのか解りませんが、死臭が漂うくらいですから相当な数のヌーが犠牲になったのだと思います。 
 
      私たちが着いたときはもう渡り終わっていました。
      草原の向こうに見える木の茂ったあちら側がマラ川です。
      鳥の種類は解りませんが、何十羽に及ぶ鳥が空を舞っていました。
      何とも不気味です。
 
他の一度は、ヌーが川縁に続々と集結してきたので渡りが始まるだろうと思い、他所のサファリカーと共に1時間あまりも車から身を乗り出し、キャメラを抱えて待っていました。
ヌーたちは土手の上に集結すると、少しずつ岸辺の砂地に降りてきたので川へはいるのかと思っていると、ふたたびみたび茂みの中へ戻ってしまいました。
これを何回でも繰り返しているのです。
時にはたむろしている中からリーダーあるいはサブリーダーらしいヌーが鼻面を水につけて匂いを嗅ぐような仕草をします。
またある時は、まるで水温でも測っているかのように、2,3頭が水の中に脚をつけたり出したりしています。
少し離れたところへ歩いていって、クロコダイルの様子を窺うような仕草をするものもいました。
集団は、何度も何度もゾロゾロと行ったり来たり。中には待ちくたびれたのか座り込んだヌーも見られました。
また、人間社会と同じように子供のヌーは無邪気に周りを駆けめぐったりしていました。
リーダー、サブリーダーが逡巡するのと同じように、遙かに列の後方の集団も後ろ向きになって帰り始めたり、また戻ってきたりしていました。
結局この日、川渡りは決行されず、ヌーの集団は一斉に回れ右をして引き上げていきました。
どのような事情で「渡り」を取りやめたのか、そのことを伝達したのか知るよしもありません。
待ちくたびれた私たちもロッジへ戻りました。
マコーリさんは「川渡り」が見せられなかったことが余程残念だったと見えて、帰り道はいつもより一層言葉少なになりました。
でも、私は待っている間、ヌーの気持ちを考えたり泳ぐ場面を想像したりして、それなりに楽しんでいましたから、悄げてしまったマコーリさんがお気の毒でした。
 
     この場所は川幅も狭く、人間が見る限りでは「渡り」に適しているように思われたのですが・・・。
     何故かこの時は皆引き返していき、ヒトだけが草むらに取り残されたのです。
     「決行」、「中止」はどのようにして決めるのか不思議でした。
 
 
そして、ついにこのロングドライブの日の夕方、《ヌーの川渡り》を見たのです。
このように大きな出来事を間近に見ることができるとは・・・・想像もしていませんでした。
この時に川を渡ったヌーの数は、マコーリさんの目測では12000頭だったそうですが、見守る私たちの願いが通じたのか、1頭の犠牲も出さずに川を渡り切れたことが、私には奇跡のように思えました。
前々日のあの空を舞う沢山の鳥たちと、死臭漂う川辺の様子が脳裏からがぬぐい去れないままでいたのですから・・・。
12000頭という数が、「ヌーの川渡り」として多いのか少ないのか解りませんが、最初の一頭が川へ入ったら、後はもう一気に進みました。
犠牲無しと言うことは、この日のヌーたちは皆泳ぎが上手だったでしょうか、クロコダイルが2,3匹そばにいましたがすでに満腹だったのでしょうか、川渡りポイントの条件が良かったのでしょうか。
何が良かったのか解りませんが本当に何という幸せだったのでしょう。
ヌーにとっても私にとっても、望外の幸運な結末を迎えた『ヌーの川渡り』でこの日のロングドライブは終わり、帰途につきました。
帰り道、ガイドのマコーリさんは心から満足そうで、すこし誇らしげに笑みを浮かべてハンドルを握っていました。
 
帰国した8月末、この感動と興奮が褪めてしまわないうちにと、急いで書いたのが、【アフリカへ行きました】 番外編『ヌーの川渡り』と 『ヌーの川渡り つづき』 だったのです。
あの時の、体験者の高揚した気持ちをぜひお酌み取りいただきたいと思いました。
このシリーズの最初から2編目と3編目にあたります。