【アフリカへ行きました】
 
33)サファリカーは走ります      
 
昔、ケニアがイギリスの植民地だった頃、ヨーロッパの上流階級の人々は、ヒョウやライオンなどの狩猟を目的としてアフリカ、サバンナへ分け入ったそうです、そして、それを「サファリ」と呼んでいました。
「サファリ」とは、スワヒリ語の「旅行」という意味です。
「ハンテイングを目的として奥地へ出かける」ことの意味で使われてきた「サファリ」ですが、今では「自然の状態での動物を観察する」ことを表現する言葉に変化しています。
 
植民地時代の「サファリ」は、現地の人を大勢雇い、自動車の代わりに自分たちの座った椅子を担がせ、サバンナで使うテントや衣服、日用品、水・食糧など生活に必要なすべての品物を運んでもらい、行列を作っていったと言われています。
そしていかに大きな動物、どう猛な動物を沢山仕留めたかを競っていたわけです。
あるいはゾウやサイの牙、ヒョウやチーターの毛皮の売買を商売にしている人達も次々にサバンナへ行ったのです。
その揚げ句が「希少動物」、「絶滅種」などの心配が出てきたのでしょう。
1977年、野生動物保護の目的から狩猟は全面禁止になりました。
それ以降、「サファリ」は 《ハンテング》ではなく、《ウオッチング》となったのです。
 
今では私たち観光客が国立保護区へ入った場合、勝手気ままにサバンナで《サファリ=ウオッチング》をする事は出来ません。
自然保護と、危険防止の立場からの制限なのです。
それに、気に入ったからと言ってここに勝手に住居を構えることも出来ません。ちゃんと法律があるのだそうです。
マサイ・マラで自分の家を作り、放牧をしながら自由に暮らしても良いのはマサイ族の人々だけ
だと聞いています。
マサイ族は少数派の部族ですが、とて勇敢で誇りが高く、近代化の波に乗らず、昔ながらの生活習慣を守っている人が多いそうです。
彼らはライオンに立ち向かうだけの勇気と誇りを持ち、夜はどんなに熟睡していても瞬時に戦闘態勢を取ることが出来ると言う特別な人々だそうです。
そう聞くと、彼らがここで暮らす許可が得られるのも当然だと思います。
 

現代の「サファリ」はどうなっているのでしょうか。
広いサバンナをどのように移動してどのように野生動物たちを観察すればよいのでしょうか。
折角野生動物の宝庫へ行ったのに、動物たちを充分に観察できないのでは何にもなりません。
そこでマサイ・マラでは宿泊施設である各ロッジがそれぞれ主催する、ゲームドライブというシステムが作られたのだと思います。
 
ロッジによって独自のプログラムがあるので、所要時間や回数・内容などが多少は異なるのだと思います。
私が滞在したムパタ・サファリ・クラブでは朝6時からと午後3時からの2回、それぞれ2時間半のプログラムでした。
形式はどこのロッジでもサファリカーでサバンナを駆けめぐり、動物を観察するというものです。
 
大自然の中の動物たちをウオッチングするのはサファリカーを走らせるのが一番当たり前で多いのですが、その他に熱気球(バルーン)で空からのウオッチングや、川の流れている地帯ではボートを使ってボートサファリが行われる所もあるそうです。
マサイ・マラでは熱気球はありますが、ボートサファリはありません。
 
もしもサファリカーでガイドさんに案内してもらえなければ、ここマサイ・マラでは手も足も出せません。
当然のことながら、サファリカーは外の様子が良く見えるように改造された車を使っています。
当然ロッジによって用意されている自動車は異なります。
勿論車体にはロッジの名前が書かれていますが、車種や改造点などに特徴があるのでほぼ見分けることができました。
私が滞在していたムパタ・サファリ・クラブではトヨタのランドクルーザーを使っていました。
改造点は屋根とガソリンタンクでした。
屋根(天井)が観音開きに開けられるので、シートの上に立つと、上半身が乗り出せました。
これは辺りが遠くまで見渡せて、観察や写真撮影に最適でした。
確かによく見えるのですが、朝夕、気温の低い時間帯には屋根を開けたまま走っているととても寒く、私など手袋・帽子が必要でした。
また、草原の道無き道を長距離走るために、ガソリンタンクが車の前後に作られていると言うことでした。
 
                                               
    この車は他所のロッジの車です。
    私たちが乗っていたトヨタはこれと似た形で、このように屋根から身を乗り出して動物たちを
    見ていました。
    走っているときにこのように乗り出すと振り落とされそうでちょっと怖いでした。
 
車の色は、白、ベージュ、グレイなど目立ちにくい地味な物が多いでした。
小さい車は大体6人乗りくらいですが、中には10人以上乗れるくらいの車もありました。 
どれもこれも、乗客が外を見やすくするための工夫が凝らされていました。 
  私が乗っていたのと同じように、屋根がぽっかり開くもの
  屋根がまるで天蓋のようについているもの
  ジープのように両サイドがまったく無くて、ヒトが剥き出しになっているもの
  両側と後ろが厚いテント地で、ウオッチング中はくるくる巻き上げられているもの
  ケーブルカーのように、席が後方になるにつれて高くなっていくもの
  窓はなくて両サイド全体が透明な厚いビニール製のもの  
などなどでした。
 
マサイ・マラに母子の2頭しかいないと言うシロサイを見つけてたとき、マコーリさんが無線で皆に連絡したら、サバンナに出ているすべてのサファリカーが集まったかと思うほど、沢山の車があちこちから駆けつけてきました。
チーターとかライオンは比較的よく見られるのでせいぜい5,6台が集まっていたに過ぎませんが、さすがにこのシロサイの時とヌーの川渡りの時は、みんな凄い勢いで、まるで沸き上がるように台数が増えました。
 
まるでサファリカーの見本市のようになりました。
 
     シロサイと聞いて集まったサファリカー。
     ちょっと遠くて見にくいですが、サファリに適したようにいろいろ改造された車たちです。
     写真左下の白い部分は、私の乗っていたサファリカーの開いた屋根の裏(天井の部分)です。