【アフリカへ行きました】
 
 
38)さようなら、マサイの夕陽
 
明日の朝は今まで通り早起きをして、最後のゲームドライブに行って、戻ったら朝食を頂いて、急いで荷造りをするのです。
と言うことは、夕方のゲームドライブは今日でお終いです。
車から眼にする夕方のサバンナの景色は、どれもこれも名残惜しくなってしまいます。
 
マサイ・マラで最後に見る夕陽はそれは見事なものでした。
夕陽がサバンナの向こう側へ沈むとき、その光は明日への希望を約束してくれているかのようでした。
陽の色はあでやかな「くれない」で『君、もっと傍へ近づいて私の色に染まってごらん』とでも言うようで、妖艶にさえ見えるのです。
同じ太陽なのに、はつらつとした感じの朝日と、地上の出来事をすべて見て知り尽くした夕陽とではまるで別のもののようでした。
 
     マサイ・マラ最終日の夕陽。
 
 
5泊6日、長いようで短く、短いようで長いアフリカでの日々でした。
「ああ、もう帰国の日が来てしまった。もっとこの大自然のなかでゆったりした時間を過ごしたい」と言う気持ちが本音でした。
野生動物の宝庫と言われるこのマサイ・マラで、勿論沢山の野生動物を自然の状態で観察できたことは言うまでもありませんが、それと同時に大自然の美しさの中に身を委ねて過ごすことができて本当に幸せでした。
暗闇の向こうから輝きながら昇る朝日、朝夕のキリリと身を引き締めるような澄んだ空気と日中の厳しい日射しとの対比、シャワー(夕立)の後に現れる信じられないくらい大きな虹。
辺りにくれない色を残しながら草原の向こう側に沈んでいく夕陽、その後に現れる数え切れないくらい沢山のきらめく星々。
 
朝夕サバンナへ出かける時と、3度のお食事の時間の確認以外に時計を見ることはありませんでした。
現代人にとって欠くことの出来ないテレビ、電話、パソコン、新聞・雑誌などがまったく身の回りには無く、電気は自家発電で必要な時間にしか使えない暮らしでした。
あたりから聞こえるのは、サバンナを吹き渡る風の音、アカシアの葉擦れの音、シャワー(夕立)の雨粒と葉の先から落ちるしずくの音。
夜は、たまに聞こえる動物の吠え声。何か小さな動物(ブッシュべービーでしょうか?)が屋根の上をかさこそと歩いているような音が時々聞こえるくらいでした。
周りが静まると、天空できらめいている沢山の星々から、《キラキラ》と澄んだ音が聞こえてきそうでした。
 
いつも耳にしていた日常の人工的な音は何一つありません
テレビ・ラジオはもちろんのこと、自動車の警笛やブレーキ、走り抜ける音、パトカーや救急車など緊急車両のサイレンなどすべての音が無かったのです。
日頃暮らしの中で聞こえていたこれらの音は、意識しないうちに身体の中を通り過ぎていたのだと今改めて感じています。
 

これほどあるがままの自然を、ありとあらゆる感覚を駆使し体中で感じ、またそれを素直に受け入れることが出来ました。
短期間だからこそ言えるのかも知れませんが、身も心も解き放されたような気分になったのでした。
 
日本へ帰れば、また騒音の中(ある人は「文化の音」だと言うかも知れません)での暮らしに戻ることになります。
マサイ・マラであれほど貴重だった水も電気も、無尽蔵にあるかのように使ってしまう自分が復活するのではないかと心配です。
溢れる光と音の中での暮らしが瞬く間に当たり前になり、優しく包み込んでくれたサバンナの大自然が遠いことのようになりそうです
 
あでやかなくれない色をしたマサイ・マラの最終日の夕陽を眺めている内に、つくづく大自然の素晴らしさを再認識したのです。
ヌーの大移動をはじめ、野生動物たちがそれぞれ生きるために真剣に行動している姿を目の当たりにして感激し、都市部の暮らしでは忘れていた自然界の素晴らしさを体中で実感できて幸せだったと思います。
日常とは異なる大自然の中に、身も心もどっぷり浸っていた贅沢とも言える日々でした。
 
    帰国前日の夕暮れ、ロッジの近くで出会ったマサイキリン。
     動物園でよく見かけるアミメキリンに較べると、網目模様が
     ギザギザしているのが特徴です。
    このキリンに「さよなら」を言うのを忘れました。
     明日の朝、もう一度会えると良いのですが・・・。