【アフリカへ行きました】
 
39)帰国の日が来ました
 
さあ、とうとう今日は日本へ帰る日です。
最後の早朝ゲームドライブ、最後の朝食、サバンナの風に吹かれるのも今日がお終いです。
いつものようにオロロロ・ゲートから国立保護区に入りました。
いつもゲートの門を開いてくれるお兄さんにも 『さようなら、お世話様でした』と心の中でお礼を言いました。
毎日、朝夕4回潜り抜けた訳です。そして、トイレを何回も拝借しました。
 
ガゼルの仲間たちやヌー、シマウマなどは、いつものようにレッド・オーツ・グラスの中で佇んだり、草を食べたりしていました。
30頭あまりのゾウの群れやバファローの群れが歩きながらも休み無く木の小枝や草を食べていました。
この日もマコーリさんがしっかりライオンを見つけてくれました。
動物たちはみんないつも通りに黙々と草を食べ、歩いていました。
感傷的になって『大自然を満喫させて貰って有り難う。さようなら』と呟いているのは私だけでした。
 
朝のゲームドライブが終わってロッジに着いたとき、私たちは順にガイド兼ドライバーとして面倒をみていただいたマコーリさんと固く握手をしました。毎日朝夕2回ずつ本当にお世話になりました。
私は『有り難う』と言って持ち合わせていた折り紙で折った折り鶴を4羽、私たち4人の感謝の印として彼に渡しました。
    『これは鳥の一種ですか?』
    『はい、鶴という鳥を紙で作りました』
でも、彼にはピンと来ないようでした。
日本人にとって鶴は昔から身近な鳥ですが、アフリカの方には馴染みの薄いものだったかも知れないと、後で気付きました。
 
ダイニングルームでは手書きで「TAMURA FAMILY」と書かれた紙を立てかけたテーブルに付くのもこれでお終い。
最後の朝食は、勿論白いオムレツでした(「14)あら、卵の黄身が・・・」参照)。
記念にあのネームプレートを頂いてくれば良かったと後悔してしまいました。
食事が終わると慌ただしく荷造りを完成させ、空港(?)へ送ってもらうべくロッジの管理棟へ駆けつけました。
レジストレーションの前へ行くと、事務をしているフローレンスさんが近づいてきて
    『来年もまた来ますか?』
と、笑顔を私に向けました。
マコーリさんの正真正銘、最後の運転でキチュワ・テンボ空港(?)へ向かいました。
11時発のナイロビゆきに乗ります。
はじめてマサイ・マラへ到着した時は私たち家族だけで貸し切り状態の飛行機でしたが、今日の空港(?)にはもう20人あまりの人と車が集まってきていました。
マサイ・マラに別れを告げるこの日は、珍しく雲の多い、薄ら寒い日でした。
集まっている人は皆、長袖の服を着て、寒そうに前をかき合わせていました。
 
最初に到着した機は50席くらいある結構な大きさの飛行機でした。
行き先表示は付いていないし、アナウンスがあるわけでもないので、ガイドあるいはドライバーさんの指示によってそれぞれ乗り込みます。
マコーリさんに目を向けると、『ノー』と首を横に振りました。
私の飛行機はこれではありません。
飛行機が次々に着陸して、人を乗せては慌ただしく飛び立って行きます。到着する飛行機は後になるほど小型になっていきました。
私たち4人とヨーロッパの方らしいもう一家族が残りました。
これまでに着陸した中で一番小さくて、客席が8つしかない4機目の飛行機が残こり8人の乗るものでした。

マコーリさんが手早く皆の荷物を機の横腹にある収納部分に納めてくれました。
ゆっくりお別れする間もなく、他の乗客と共に乗り込んでしまいました。
別れを惜しみたかったし、もう一度サバンナの金茶色の草を眺めたかったのに、とても慌ただしい離陸でした。
乗って腰を落ち着けてみると、コックピットの副操縦士席には男の方がすでに坐っていました。
どう見ても副操縦士ではなくただの乗客のようでした。結局乗客は9人ということでした。
はじめから乗っていましたから、他の空港(?)へでも寄ってきた飛行機だったのでしょうか。
機内食は行きと同じでシートポケットにはミネラルウオーターのペットボトルが用意されていて、離陸するやいなや小さなバスケットに入ったミントキャンデーがまわってきました。
往路とは異なり、帰りは満席で何か落ち着かず、45分の滞空時間はそわそわしているうちに広いサバンナを通り過ぎ、ナイロビに到着してしまいました。
帰りの飛行機の中で何を目にしていたのか、何を考えていたのか、よく覚えていないのです。
あっけないマサイ・マラ国立保護区とのお別れでした。
 
 
《追記》
マコーリさんが折り鶴を見て怪訝な顔をされたので、鶴について少し調べてみました。
5000万年前の地層からツルの祖先の化石が出てきたと言われているので、歴史は長いようです。
鶴の仲間は、南アメリカと南極以外のすべての大陸と日本、ニューギニアなどの島国の湿原・草原に生息しています。
世界中に15種類のツルの種類がいて、その内11種類は環境破壊による絶滅の危険に曝されているそうです。
 
ある種のツルはアフリカにも分布しています。【28)ロングドライブの日。その2 密入国】でご紹介したカンムリヅルもツルの仲間でした。
この他に、クロヅル、ハゴロモツル、ホオカザリヅルがアフリカでも見られます。
折り紙のモデルであるタンチョウはアフリカには住んでいないのです。
日本には7種類のツルがいて、丹頂鶴(タンチョウ、英名Japanese crane)が一番有名です。
タンチョウは渡りをすることなく、日本で繁殖し、越冬もしています。
現在では日本の北海道東部にしかいませんが、200年くらい前までは、尾瀬や日光でも繁殖していたと言うことです。
タンチョウは日本以外に、大陸ではロシア極東と中国北東にも生息していると書いてありました。
 
タンチョウは羽を広げると2.4mにもなる日本で一番大きい鳥で、全身が白くて頭のてっぺんが赤(だから丹頂と言います)、尾羽の先が黒になっていて色彩的にも美しく、大空を飛ぶ姿の端正なことから、日本人には古くから好かれていました。
地名(鶴見、舞鶴など)や日本酒(白鶴、沢の鶴など)、食品などにも「鶴」の文字がよく使われていますし、民俗芸能や民話(「鶴の恩返し」など)にも出てきます。
「鶴は千年、亀は万年」との言い伝えがあり、長生きなのでおめでたいことの象徴にも使われてきました。
本当に千年も生きるわけではなく、記録的には日本の動物園で50年以上飼育された野生のタンチョウがいるそうです。
日本の折り紙の代表的作品は折り鶴で有名ですし、着物や風呂敷、袱紗などの柄や図案は日本人にお馴染みのものです。
今、タンチョウは世界で1600〜2000羽になってしまっています。
日本では国の「特別天然記念物」として保護されているので、2003年の調査で908羽確認されたとの報告があります。
タンチョウを見たことのないマコーリさんには折り鶴を見てもピンと来なかったのはアフリカでは見られないからだと思いました。