【アフリカへ行きました】
 
40)ナイロビで寄り道 1>市内で見た看板
 
客席8つの小さな小さな飛行機は、ナイロビにある国内線専用のウイルソン空港へ正午過ぎに到着しました。
飛行機に乗るとき、翼の裏側に錆が付いているのが見えていたのでちょっと心配しましたが何事もなく着陸しました。
とても上手なランデイングでした。
空港ロビーには旅行会社のガイドさんで現地の方が待っていてくれました。
とても流ちょうな日本語で挨拶されたのでびっくりしました。
外国語学校で学んだわけではなく、独学でマスターしたと伺い、ますますその才能の豊かさに驚かされました。
彼は自分の勉強のためにと日本語で会話をする事を希望され、それは私にとっても願ったり叶ったりでした。
心理的には、すでに身体の一部分が日本に到着したようにホッとしました。
 
    『国際線に離陸時間まで、まだたっぷり余裕がありますから、まず昼の食事にしましょう』
と言って、空港のゲート近くに置いてあったワゴン車に案内されました。
 
ナイロビ市内の地図はよく分かりませんが、市のはずれにある空港からさらに郊外へ向かっているようでした。
途中で、ホテル、官庁、大使館その他の首都らしい大きなビルはほとんど見当たらなかったので、恐らく市街地を走っていたのだと思います。
サッカー場でしょうか、大きなスタジアムも見受けられました、工場のような建物が幾つもありました。
下町のような雰囲気で、全体としては何となく埃っぽく感じられました。
道々あちこちに沢山の教会があるのが目を惹きました。
日曜日では無かったのですが、沢山の人達が教会前に集まっていました。中には可愛らしいワンピースで着飾っている子供も見られました。
    『教会が沢山ありますね』
    『ハイハイ、そうです。みんな信心深いです』
 
現在のケニアでは、国民全体の約60%がキリスト教徒だそうで、その他にイスラム教も多いですが中には仏教徒もいらっしゃって天理教会もちゃんとあるそうです。
勿論アフリカに古くから伝わる宗教を信じている方もいらっしゃるとのことです
 
ウイルソン空港では垣根代わりにブーゲンビリアの木が沢山植えられていて、赤やピンクの花がきれいでした。
他にも比較的に幅の広い道では、街路樹が並んでいると言うほどではありませんが、所々に良く茂った大きなブーゲンビリアの木が立っていて、木を覆うように赤い花が一杯付いているのが見えました。
ナイロビではありふれた木のようでした。
もう一つ、ここでは世界3大花木の一つである「ジャカランダ」という薄紫の花を沢山つける木がとても素敵だという話を聞いていました。
見たいと思っていたのですが、生憎なことに、ジャカランダの花の季節が春だと言うことで残念でした。
    (近頃、日本でも愛好家が増え、自宅で楽しんでいる方も多いそうです。)
 
車で通り抜けた街の中で一番目を惹いたものに看板がありました。
自動車や清涼飲料水などのごくありふれた商品広告の他に、《子供達を救おう》 とか、《AIDS撲滅運動》 というようなスローガンを書いた大きな看板が並んでいることでした。
アフリカに限らず、アジアの一部の国々などの発展途上国では、HIV/エイズの感染率が高く、中でもサハラ砂漠以南のアフリカでは、AIDS孤児が世界で一番多いとされています。
多分、それ故の看板だと思いました。
もっとも根本的な問題は、貧困のために充分な教育が受けられず、HIV/エイズに関する無知に根ざしているのです。
HIV/エイズに関する充分な知識が得られないまま、父親が都会へ出稼ぎに行って感染し、それが妻に伝染し、発病して両親が共に亡くなってしまうのです。
ここでは都会を離れると、HIV/エイズは自らが招いた病気で恥ずべきものとして「村八分」のようにされることもあるのです。
その家の子は村全体が患者の子供として差別し、両親の死によって孤児となったあとも面倒をみようとせず、つまはじきにします。
暖かい言葉どころか、「あっちへ行け」、「学校に来るな」などの雑言を浴びせられるそうです。
祖父母がいる場合はまだマシですが、頼る大人がいない子供達はなんとか自分たちだけで暮らしていかなければならなくなります。
ちょっとした仕事をさせて貰ってなにがしかの賃金をいただき、幼い弟妹を養っているケースも稀ではありません。
賃金を頂くような仕事をさせて貰えればいいのですが、仕事が貰えないときは食べることも出来ず、廃屋に肩を寄せ合ってただぽつんと坐っているだけと言う子もいるのです。
このように取り残された子供は「HIV/エイズ孤児」、果ては「ストリート・チルドレン」になるという経過を辿ることが多いのです。
 
ユニセフの調査によると、片親あるいは両親を亡くしたHIV/エイズ孤児は2004年7月の時点で1500万人いますが、2010年にはそれが2500万人に達すると試算されています。
つまり、それだけの数の親がHIV/エイズで亡くなっていくという計算に基づくものです。
我が国のHIV感染者は2003年の統計で約1000名と言うことですから、アフリカでは信じられないくらい莫大な数字です。
その数の多さに、ただ目を見張るばかりです。
 
AIDSの撲滅運動は“音のない戦争”と言われています。
大砲で倒れる人は居なくても、人知れずひっそりと亡くなっていく沢山の人がいるのです。
看板を目の当たりにして、その現状を知った以上は この“戦争の終結”に少しでも協力したいと考えました。
 
ユニセフでは人々の募金でどのようなことが出来るか、少し例が挙げられていました。
  3000円で 3人の孤児に1ヶ月間食事を支給することができる
  5000円で 16人の子供を1年間学校に通わせることができる
  10000円で HIV母子感染を防ぐのに有効な薬を83回分母親に提供できる
 
今回ナイロビの街で見たようなあの看板が、一日も早く地球上から無くなることを心から望んでいます。
 
 
空港からは少し離れた郊外にあるテラスの付いた西洋風のレストランへ案内されました。