【アフリカへ行きました】
 
42)ナイロビで寄り道 3)路上で商売
 
出発前の私のツアー研究では、ほとんどのプランで「帰国の日の昼食には、懐かしい和食をご用意」とか、「ゾウやキリンなど野生動物の肉を焼いて食べるレストランへご案内」などと書いてあるのがとても多いのでした。
日本へ帰ればまた普段の食生活に戻るのです、今更外国製の和食は遠慮したい・・・。
今朝まで、あんなに身近に見ていたゾウやキリンを食べるなんて、もってのほかです。
折角ケニアまで来たのだから、ケニアならではの郷土食を試みてみたいと思っていました。
 
ですから、念願が叶って「ウガリ」と、ケニアの母親が愛情をこめて作る「ウジ」を口にすることが出来て本当に良かったと思っています。
いかにも外国人向けの、レストランで頂いたものですが、ガイドさんの話では「いつも食べている味と同じ」と言うことでした。
お米にもいろいろな品質がありますし、水加減や炊き加減でお味や口当たりも変わります。
ウガリの素材「トウモロコシの粉」にも違いはあるでしょうし、水の分量や火加減でもすこしは変わるでしょう。
「ウガリ」であることに違いはないし、この土地の菜っ葉「クスマ」であることは確かなのですからレストラン料理でも満足しました。
 
そうそう、そう言えばあのレストランでも、マサイ・マラのロッジで寒い夜にご厄介になった背の高い火鉢があちこちに置かれていました。
「ナイロビ市内でも火鉢は活躍しているのだわ」と横目で眺めました。
昨日までお世話になっていた火鉢なのに妙に懐かしく、何かホッとした気分になりました。
 
ケニアの郷土食を頂き、ふたたび車で移動です。
発展途上国とは言えケニアの首都です、私たちの車が通った道はほとんどが舗装されていて、中には歩道まで整った道もありした。
1週間前、ケニアに入国した日、国際空港から国内空港への移動の時はなんだかボーッとしていてあまり印象が残っていません。
とにかくナイロビです、満腹ですが「ちょっと居眠り」などしていられません、今日はよく眺めなくては・・・もうチャンスが無いのです。
 
辺りはビルが建ち並んでいるとかビジネス・パーソンたちが行き交っているような市の中心部ではなく、工場のような建物が多い所でした。
街路樹はまばらにしかなく、何となく全体に埃っぽい感じがしました。
 
歩行者もかなり見受けられましたが、それよりも何よりも目を惹いたのが、道ばたの「青空商店」の多さでした。
道路沿いのちょっとした空き地を利用して焼きトウモロコシや日用品などを売っているささやかな屋台店だけではありません。
道路の1ブロック全体に、日本で言う大型量販店とか、大きなスーパーマーケットがお引っ越ししてきたのではないかと思うほど、ありとあらゆる品物が延々と並んでいるのです。
 
私の知っている日本の露天の商売とはまったく異なるものでした。
日本ではそれぞれがほんの2,3メートルの間口で食べ物や小物を売っているのが普通と思っていました。
ナイロビでは、とにかく規模が違うのです。
個人の商人が一定のルールで占有の場所を確保して店を出しているのかどうか解りません。
規模が凄いことに加えて、売られている品物も半端ではありません。
何かのついでに、ちょっと買って帰るなんてとても出来そうもないものまで並んでいるのです。
大型も大型、椅子・テーブルにとどまらず、ソファ、ダブルベッドなどの大型家具が幾つもずらっと整列です。
それぞれがカラフルで、皆新品のように見えました。
ある一角には、なんとまあ、棺やキリスト教の十字架の墓石までが沢山並んでいるではありませんか。
「へーっ」、「まああ」、「あらあら」などと呟きながら身を乗り出して眺めていました。
おまけにこのような露天区域は一カ所だけではなくて結構あちこちに何カ所もあったのです。
何にもまして規模の大きさと、並んでいる商品の多様性にはすっかり度肝を抜かれてしまいました。
世界中の街を見たわけではないので、ナイロビだけのやり方なのかどうかよく解りません。
 
さらに進むと市の中心へ向かう幹線道路に続くのでしょうか、渋滞の車の列に紛れ込んでしまいました。
ここではまるで日本と同様に信号待ちの車の列がずらりと並んでいます。
ナイロビでもやはり渋滞なのね・・・と信号の変わるのを待っていると、何人かの男の人がバラバラと車の間を縫って歩いてくるのです。
ちゃんと歩道を歩けばいいのに、接触事故でも起こしたら大変です。
でも、よく見ると皆何かを持ったり担いだりしています。
スニーカー、懐中電灯、クッション、あちこちで目にしてきた焼きトウモロコシなどなど、皆いろいろなものを携えています。
窓越しに品物を見せています。お金を渡して品物を貰っている人も居ます。
この人達も路傍の商人だったのです。
窓越しにクッションを見せられ、私は慌てて首を横に振りました。
ケニアも大変失業率が高く、地方から都会へ出てきても定職に就くことが出来ないまま、こうして日銭を稼いでいるのでしょうか。
どれほどの売り上げがあるのでしょうか。
多分、生きていくために毎日を懸命に働いている人たちなのでしょう。
HIV感染症孤児の話とオーバーラップして胸の奥が締め付けられる思いがしました。
 
まだ、離陸までには時間があります、次はナイロビ郊外にある《ジラフセンター》へ案内して下さるそうです。
キリンなら毎日のようにマサイ・マラで見てきたのですが・・・・・。