【アフリカへ行きました】
 
51)これでお終い
 
とうとうこの日が来たという感じです。
書き始めた頃は、ほんの二つか三つ動物に関したお土産話を読んでいただこうと思っていたのです。
それなのに、帰国して9月初めから毎週1編づつ書き続けている内に11ヶ月、いつの間にか全部で53の話になってしまいました。
思いがけない長丁場になったことに自分でも驚いています。
 
アフリカへ行こう、あそこにはまだ人間の手の加わっていない大自然がある、そこで暮らしている動物たちを間近に見て、彼らと同じ空気を吸い、草のざわめきを聞き、風に触れたいと言うのが私の望みでした。
そして、人工の光に邪魔されないところで、輝く星々のちりばめられた夜空をじっくり眺めたいと言う思いもありました。
 
単純に言いますと、メルヘンの世界を求めてアフリカへ行った私だったと言えましょう。
そして、まさに憧れ、求めていたとおりのところでした。
地の果てまで続いているのではないかと思うほど広々としたサバンナ、雨上がりの空にかかる虹は、生まれて初めて見る大きなものでした。
夜空を見上げると、「ピリーン、キリーン」とクリスタルグラスのふれあう音が聞こえて来そうなくらい沢山の星が輝いて見えました。星座なんてどこへやら、ただただ星の輝きに目をうばわれてしまったのでした。
一人で、ジーッと空を見上げていると、星が私の頭の上に音をたてながら、こぼれ落ちて来そうな気がしました。
草原の向こうに輝きながら昇る朝日、妖艶なまでの深紅を見せびらかしながら沈んでいく夕陽、大自然の恵みとは何と素晴らしいものかとあらためて感じた1週間でした。
 
弱肉強食の世界とはいえ、サバンナの動物たちはそれなりに皆逞しく生きているようでした。
生存本能に基づいて互いに利用しているに過ぎないのでしょうが、そうは思えません。視力は劣るが嗅覚の優れているヌーと視力はよいが臆病なシマウマ、大きな動物の傍にいると安全が確保できるトムソンガゼルと言う3者の寄り添って生きている関係や、バファローと寄生虫掃除係の鳥であるウシツツキとの共存生活などはとてものどかで平和に見えました。
人間同志、国家同士でいがみ合っている人間の世界は動物たちを見習った方が良いのではないかと思いました。
 
身体はもう大人くらいに成長した2頭の兄弟チーターが、じゃれてコロコロ転がったり、木登りをする様子は微笑ましくみえました。
木陰でお昼寝をしているライオン親子の様子は何の憂いもなく、とても幸せそうででた
捕食動物に狙われ、不幸にも命を落とした草食動物たちは、捕食動物が生き永らえ次の世代を育てるのに役に立ちます。
食べ残しはハイエナや、ハゲタカ・ハゲコウなどを養い、さらには小さな昆虫に至るまで恵みを与え、豊かなサバンナを維持するための栄養としても貢献し、決して無駄死にではないのでした。
いろいろな動物たちがそれなりに一生懸命に生きているのを見て感激しました。
 
マサイ・マラへへの往復、ジョモケニアッタ国際空港と国内便ウイルソン空港との道すがら、ほんの数時間覗いたケニア共和国の首都ナイロビはハイビスカスの花の紅が美しく、観光客としての私の目に映ったナイロビ市内の光景はとても平和で屈託のないものでした。
でもあの日、車での移動中、《子供達に手を差し伸べよう》 というスローガンを掲げた看板に目を向けていなかったら、多分私は 「マサイ・マラの大自然を満喫した一観光客」 として日本へ帰ってきたに違いありません。
《子供達に手を差し伸べよう》の言葉を見たとき、ここには差し伸べられる「手」を待っている子供達がいるのだと気づきました。
さらに、この言葉をよく噛みしめて見ると、これは国内の人々だけにでなく外国人(観光客)にも呼びかけている言葉でもあるのだと理解したのです。そして、メルヘンの世界の素晴らしさと共に、問題をもう一つ提起されたような気がしました。
 
このスローガンに触発されたこともあり、動物のお話を書き進めるとともに、このように素晴らしい経験をさせてくれた背景となる、「アフリカ」そして 「ケニア」とはどのようなところでどのような状況だろうと思い、少し調べてみることにしました。
テレビや新聞で手がかりを得、できる範囲で本を調べたり、インターネットで情報を集め、客観的に見る努力をしました。
その結果、私にとってまさにメルヘンの世界だった「アフリカ」、「ケニア」の現実を、別の面から見ることになったのです。
内容の一部は、今までのお話に中でも触れていますので、重複するかも知れません。
 

アフリカ・サハラ以南の国々の中で、ケニア共和国は比較的政情が安定し、一番工業化が進んでいる国なのだそうです、。
それでも、干ばつ・天候不順、主要産業である農業・観光業の不振、それに基づく経済成長率の低下・失業が貧困層を拡大して、HIV感染症(エイズ)を蔓延させて孤児を増やし、犯罪率の増加と社会不安を招いているのです。
2003年7月現在、ケニアの人口3154万人余り(2002年)のうちで、困難な状況・特別な保護を必要とする児童の数が50万人あるいはそれ以上いて、その内ストリートチルドレンは15万人とされています。終戦後の日本の荒廃した状況をふと思い出しました、あの頃、日本にもストリートチルドレンがいたのです。
両親をHIV感染症(エイズ)で失った孤児が、村でつまはじきにされ、食べるものもなく幼い弟妹の肩を抱いてジッと座って途方に暮れている子供すらいるのです。
明日のケニア、明日の世界を担うはずの子供達の中に、こんなにも辛くて困難な境遇に置かれているとは、この原稿を書くために調べてみるまで充分把握していませんでした、少し恥ずかしい気持ちでいます
恵まれない子供がいる一方、ナイロビ・ジラフ・センターのキリンたちが、観光客の与える豊富なエサで、まるまると太っているなんて・・・観光業に力を注いでいるケニアですから、ジラフ・センターのような施設も必要なのでしょうが、何かスッキリ割り切れない気持ちになってしまいます。
 
日本では、医療費の公費負担、小学校から中学校までの義務教育制度など現在の子供達はとても厚遇されていると思います、終戦前後の混乱期に較べると信じられないくらい日本は豊かになりました。
義務教育以外に、塾へ通って進学準備の勉強したり、いろいろなお稽古事に通い、夏休みともなれば国内はおろか海外旅行までしている子供も少なくありません。
ケニアに較べて、日本の子供達はなんて恵まれているのでしょう。
未来を紡いでいく世界中の子供たちみんなが幸せに暮らせるようになって欲しいものです、彼らにはその権利があるのです。
 
このたびのマサイ・マラへの旅行はとても実り多いものでした。
広いサバンナとそこで暮らす沢山の動物たち、朝・昼・夜でさまざまな姿を見せてくれた光と影、水と風など大自然そのものに触れ、その素晴らしさを満喫しました。
それと同時に、サハラ以南のアフリカ諸国を初めとする多くの発展途上国の抱えている問題について、ほんの少しですが考えるきっかけを与えてもらいました。
地球本来の姿である大自然や動物たちの楽園を破壊することなく、世界中の人びとが心豊かに暮らせる地球になるように、努力しなければならないと思いました。
 
今回、ケニアのことを調べるために集めた資料の中で、私に大きな影響を与えたものは以下の二つです。
1)ユニセフ協会
    《世界子供白書2004》
世界の子供達の健康・教育・環境などに関するデータが数字・グラフで示されています。
読みものではなく、数字で現実をまざまざと見せつけられました。
5歳未満児の死亡率は世界順位で言えば日本の177位に対してケニアは39位、一番高いのはシエラレオネです。
初等教育純就学/出席率は日本100%に対しでケニア69%です。
また、出生時の平均余命(後どれだけ生きていられるか)を見ると、日本人は81年も生きられるというのに、ケニアは45年、シエラレオネやジンバブエでは僅かに34年しか生きられないのです。
これらのデータは世界子供白書に載せられている内容のほんの一部です。
 
2)池田香代子再話  C.ダグラス.ラミス対訳
    《世界がもし100人の村だったら》
池田香代子さんのもとへ、インターネットで送られてきたメールの内容に感銘を受け、書籍として出版されたものです。
ネット・ロアの元となったオリジナルはイギリス環境学者ドネラ・メドウズ氏によるもので、最初は1990年5月31日の日付を持ち、「ザ・グローバル・シチズン 村の現状報告」としてあり、書き出しは『もし世界が1000人の村だとしたら・・・』の一行で始まったものだそうです。
人から人へと送信され、少しずつ書き込みされて世界を駆けめぐっているうちに、誰かが「100人の村」に書き直し、日本へは2001年春に辿り着いたと言うことです。
池田さんはこの本の印税(税金を引くと1冊30円だそうです)のすべてを 《100人村基金》として寄付していらっしゃるそうです。私も1冊買い求めましたので、30円寄付したことになるはずです。
 
この本のなかで特に強烈な印象を受けた文章は以下のものです。 
 
100人の村人のうち、
 「20にんは栄養がじゅうぶんではなく 1人はしにそうなほどです でも15人は太り過ぎです」
 「村人のうち 1人が大学の教育を受け、2人がコンピューターをもっています けれど、14人は文字が読めません」
 「もしもたくさんのわたし・たちが 
     この村を愛することをしったなら 
         まだ間にあいます 
            人びとを引き裂いている非道な力から
                この村を救えます   
                             きっと」
 
いま、私は本当に幸せに暮らしているのだな、地球上で困っている誰かに、この幸せを少しでも分けてあげたいと心から思っています。