【アフリカへ行きました】
 
5)キチュワ・テンボ空港?
 
小型飛行機は徐々に高度を下げます。
次第に地上の様子がよく見えるようになってきました。この辺りまで来ると殆ど集落らしいものは見当たりません。
いよいよ着陸です。初めての小型機なので、緊張して胸がドキドキします。
はっきり見えるようになってきた地面は一面金茶色をしています。乾期だからでしょうか。
ぐっと地面が近づくと、いきなり目の前に焦げ茶色の土の道が延びていました。
と思う間もなく飛行機はそこへ僅かに弾むようにして着陸しました。
金茶色の枯れ草の中の一本の茶色い道、滑走路。それがキチュワ・テンボ空港(?)だったのです。
ここが私たちの最終目的地マサイ・マラと言うことになります。
とうとう着きました。
  (キチュワ・テンボはスワヒリ語で「象の頭」と言う意味。象はスワヒリ語でテンボです)
 
辺りは一面草丈4,50センチほどの金茶色の、枯れた草で被われた緩やかな起伏のある草原です。
所々に直径1メートルくらいの円錐形に土が盛り上がったところが見られます。
それらの中には上に草が生えたのや、すでにブッシュになっているものも点在しています。後で、それらは蟻塚だと教えて貰いました。
 
管制塔はおろか着陸誘導灯もありません。きっと昼間しか利用されないのでしょう。
滑走路の途中のややふくれたところに8畳ほどの四阿風の小さな建物が見えました。
でも誰も居ません。何か不安です。
ここがキチュワ・テンボ空港と呼んでいいのでしょうか、キチュワ・テンボ滑走路なのでしょうか。
私たちだけ放り出されて飛行機が飛び立ってしまったらどうしましょう。
 
太り気味の機長がもがくようにして、機長席の横の出入り口からおりて外側からドアを開け、タラップを引き下ろしてくれました。
私たちは順に恐る恐る、マサイ・マラへの記念すべき第一歩を記しました。
さらに機長は飛行機の胴体部分の収納場所を開けて私たちの荷物を下ろしてくれました。
四阿から少し離れたところに一抱えほどもある石を台座にして緑色の看板のようなものが見えました。
確かに『Kichwa Tenbo』と読めます。ここで間違い無いようです。
各自が自分の荷物を飛行機から離れたところへ運び始めた時、ランドローバーが到着しました。
車には『Mpata Safari Club』と書いてあります。
ああ、私たちの宿泊するロッジの名前です。お迎えです、心細い思いが一気にどこかへ飛んでいってしまいました。
 
『ムパタから来たマコーリです(英語)』 と自己紹介して直ぐに荷物を車に積んでくれました。
ケニアの公用語は英語とスワヒリ語です。
ケニア共和国は1964年に独立するまでイギリスの植民地だったのですから、英語は当然公用語になるでしょう。
彼はてきぱきと荷物、次いで我々を車に乗せて走り出しました。
マコーリさんは40がらみのがっちりした体格で前歯が少し欠けています、そしてとても物静かな感じの方でした。
この時から、マサイ・マラに滞在している間中ずっとマコーリさんが私たち4人の専属ガイド兼ドライバーを務めてくれました。
 
     キチュワ・テンボ空港?にある唯一の建物、ターミナルビル?
     .草葺き屋根です。