ふたたび戸隠へ


  11月始め、ふたたび戸隠へ行った。山では早くも秋が終わり落ち葉の

季節に入っていた。夏には若い人や子供をつれた家族が多かったが、秋の

戸隠は中高年の団体客が大半で駐車場は観光バス満杯だった。バスを降りた

人々の多くは森林植物園からそれて往時の信仰のメッカ戸隠神社を目指して

歩いていた。植物園のなかは、晩秋の自然をキャメラに納めようとしている

人がそこかしこに見られ、散策している人より多いくらいだった。

  夏は木々の葉が鬱蒼と生い茂り、アザミや名も知らない草花があちこちに

咲いていたが、木の蔭に生えている丈の低い下草は何となく元気が無いよ

うに感じられたものだった。晩秋になり木々の葉がおおかた落ちてしまった

ところでは日光が充分地面まで到達するようになり、あたりは夏よりも明るく、

背丈の低い雑草は充分な日光を浴び、かえっていきいきと緑が鮮やかだった。

  散策路は落ち葉で覆い尽くされ、ふわふわしていた。地面に落ちた葉は

大小さまざま、形もいろいろ、赤、黄色、枯れ葉の茶色などとりどりの色彩で

いかにも秋の終わりの雰囲気を醸し出していた。しかし、くぼみでは昨日

までの雨の水たまりが潜んでいてうっかりすると足を取られそうになる。

くぼみに踏み込まないように、まるで子供のようにぴょんぴょんと

乾いていてそうな所を選んで歩いた。

  からまつの林に入ると道は薄茶色一色で、踏みつけても殆ど音もしない

上等の絨毯のよう。わずかな風が吹いただけで短い針のようなかれ葉が

さらさらと微かに音を立てて落ちてくる。じっと立っていると、

頭にも肩にもまるで雪のように降り積もる。細かい枯れ葉は髪の間に

入り込んでくるので、夫は帽子をかむり、娘や私はスカーフやフードで防いだ。

スカーフの上に降りかかる音は髪に直接落ちてくるときより遥かに大きな音で、

小雪が小さな霰に替わったかに聞こえた。眼を閉じてこの雰囲気を味わっていると

高校の頃に覚えた「からまつの林をいでて、からまつの林にいりぬ…」とか

「秋の日のヴィオロンのためいきの身に沁みてひたぶるにうら悲し…」など、

秋の詩が次々と思い出された。そう、今はとても現実的な生活をしているが

あの頃はロマンチストだったのだ、詩と共に友達の顔も次々に思い出された。

  夏に見たアザミは茶色く立ち枯れ、きれいなアサギマダラも

舞ってはいなかったが、聴診器だけは忘れずに持って来ていた。

木の幹に聴診器を当ててみたがやはり樹木の息吹は聞き取れなかった。

冬の眠りから覚め、活動を開始する春なら大丈夫かもしれない。

またぜひとも春に来て挑戦してみよう。