春風の中自転車に乗る

 

  

勤務先の病院に古ぼけた自転車を運び込んでから、にわかに行動

範囲が広がってきた。昼休みにさわやかな春風の中、自転車に乗って

走り回るのはとても気持ちがいい。これに「颯爽と」という修飾語がつ

けばもっと格好がいいのだが、私の場合とてもそこまではいかない。

何しろ、二輪の自転車に乗り始めたのは群馬大学へ入学し、前橋へ来

てからのことである。それまでは子供の頃、三輪車に乗った経験が

ある以外、まったく自転車に乗ったことが無かった。   

    

  今でこそ前橋の自家用車保有台数は日本一と言われているが、

私が入学した昭和30年代後半、人々の足はもっぱら自転車だった。通

学・通勤・買い物など皆自転車を使っていた。自動車は限られた人しか

もっていないあこがれの的だった。当然、映画館のそばには自転車預

かり所があり、医学部校内には広い駐輪場があった。学生も教官も自

転車を利用する人がほとんどだった。当然、通勤・通学時間になると道

は自転車であふれかえっていた。主婦と思われる和服姿の人ですら自

転車を颯爽と乗り回していた。入学後、数ヵ月はひたすら徒歩で通学し、

バスで買い物に出かけていた。しかし、カバンは重いし自転車がないと

行動が制限されてなんとも不便であることに気づき、親に頼み込んで自

転車を買ってもらった。とにかく乗れなければ話しにならないので下宿の

おねえさんに毎朝練習につきあってもらった。初日、後ろを押さえてもらっ

てよろよろと、2日目、ハンドルを切り損ねて電柱にドシン。5日目にどうに

か医学部までたどりつけた。以来、大学を卒業するまで自転車は生活の

友となった。大学はもとより、映画(テレビはまだ普及していなかった)、

ダンスパーティー、お花見などなにかと皆自転車で集団行動していた。

 

  ところが今や、医学部の構内は駐輪場はほんの片隅へ押しやられ、

マイカーがずらりと並んでいる。自転車は中学・高校生のものとなり、

町中の駐輪場は駐車場に様変わりした。なんと言うことはない、私が

やっと自転車を乗りこなせるようになったと思ったら、自動車が市民の

足になっていたのだ。世の中の移り変わりに着いていくのはあきらめ、

とうとう自動車運転免許はとらなかった。         

 

  負け惜しみではないが、自転車だって捨てたものではない。環境汚

染はないし、小回りは利くしガソリン代は必要ない。その上、適度の運

動にもなる。近頃は昼休みになると春風の中自転車に乗って、群馬の

森で森林浴をしたり、観音山古墳へ足をのばして、遠い昔の世界を思う

この頃である。