ケータイ(2)「不」携帯電話


今の若い人からケータイを取り上げたらさぞかし不自由な生活
を送らざるを得なくなるに違い無い。街を歩くと目に入る人たちの
何人かは必ず色とりどりのケータイを耳にあてておしゃべりしなが
ら歩いている。ある時は後ろから大きな声が聞こえたので何か
話し掛けられたのかと振り向くとケータイ相手のおしゃべりだった
りする。プラットホームや電車の中でも喋らないまでもつり革に
ぶら下がり空いている手でチクチクやっている人、情報を読んで
いる人、ゲーム中の人なださまざま。おそらく今時の若者の間で
はケータイを持っていない人を数えた方が早いくらいの普及率
だろう。若い人たちの間ではもう身体の一部になっているかの
ようになじんで見える。

ところが私くらいの60歳代後半の年齢層ではちょっと事情が
変わってくる。この冬、医学部時代の同級生6人(女性ばかり)が
集まった時の事である。横浜から来るはずのKOさんが約束の時
間を遥かに過ぎているのにまったく姿を見せない。彼女は開業し
ているから急用ができたのか、それとも予定の電車に乗り遅れた
のか。それにしても彼女もケータイを持っているのだから連絡して
きてもよさそうなものなのに、おかしい、どうしたのだろう。彼女の
ケータイに電話してみることになった。ところが、その日は5人中
1人しかバッグに入れていなかった。みな一応ケータイの所有者
であるにも関わらずである。言うことは皆同じ、「自宅に置いて
きちゃったわ」。ただひとり持ってきていたSTさんが遅刻の彼女
のケータイに電話をしたのだが相手は留守電に切り替わってい
た。出ないのだから文句の言い様も無い、待つ以外無いわねと
諦めた時、彼女が顔を出した。

「Oさん、どうしたの?遅れているのに連絡が無いから心配した
わよ」と異口同音にいうと「電車に乗り遅れてしまったの。それ
に、ケータイは家においたまま出てきたから、かけられなかった」
と言う返事。

 ケータイが始めて販売された頃はそれこそ持ち運びに便利な
電話以外の何物でもなかった。その後、若い人たちの間で愛用
されるようになってからは見事な進化を遂げた。電話としての働
き以外にメールのやりとり、インターネットとの連携による情報の
入手、ゲームから今日では写真機能まで搭載されるようになって
いる。

 始めの頃私はケータイの必要性を全く感じていなかった。あれ
ば便利だけど無くても公衆電話で用が足せた。ところがケータイ
の普及に伴って街のあちこちにあった赤電話/青電話が次々と
姿を消しはじめた。ある日、出先から自宅へ電話をしようと思った
ら目指す赤電話がなくなっていることに気づき、その時初めて
ケータイを入手しようと考えたのだ。それほど多機能は必要ない
からメール機能だけを付けておいたのだが、「迷惑メール」に閉
口しすべてを拒否する手続きをとってしまった。Kさんは家族との
連絡に必要なのでメール付きのままだが「なんだか怪しげなメー
ルがしょっちゅう入ってくるのよ」と言っていた。

 私たち6人が集まったその日、ケータイを持ってきていたのは
わずがに1人。明けても暮れてもケータイが手放せない若い人
たちとは違って、著しく進化し多機能を搭載したケータイを単に
【持ち運びに便利な小型電話】としか見ず、一向に使いこなそう
ともしない私たちおばあさん。若い人たちに言わせれば『あんな
便利なものを電話だけに使っているなんてもったいない』と言う
ことになるのだろう。