ケティ物語

  「ああ懐かしい、『ケティ物語』ですって」。

日曜日の朝のひととき新聞を読みながら思わず声に出したら、向かい

に座っている夫が私の顔を見て眉をあげた。朝日新聞日曜版の【大人

のための童話読本】のコーナーで歌人・林あまりさんが取り上げた本

のタイトルだ(7月15日付け)。子供の頃、父が買ってくれたクー

リッジの作品でケティはその主人公の名前だ。元気でやんちゃな女の

子ケティがブランコの事故で大怪我をして車椅子生活を強いられるこ

ととなった。そのため彼女は心に殻を被ってしまい周囲の人々に当たり

散らすようになる。おろおろする家族に代わってケティを優しく慰め励

ましてくれたのがもともと病弱でベッドの生活を余儀無くされていた従

姉のヘレンだった。ヘレンは今の辛い日々は【神様の学校】で沢山の事

が学べるところなのだと優しく語りかけ、ケティは忍耐を学び、優しさ

と共に強さをも身につけるという粗筋だ。



  当時、私はこの本が大好きで、繰り返し繰り返し読んでいた。身体

が弱くて学校を休みがちだった私は自分をケティに重ね合わせて読み、

感動していた。ある日、また読もうと本棚を探したが見つからない。

無い、無い、無い。もしかすると父の本の間にまぎれているかも知れな

いと必死になって探した。大事な本を無くしてしまった、どうしようと

おそるおそる母に尋ねた。母の返事は『あのね、疎開の荷物を送るのを

頼むときに運送屋さんの娘さんにピアノと一緒にあげたのよ、多繪子に

言わないであげてしまってごめんなさいね』と言う思いがけないものだ

った。『私が大事にしていた本なのに、何であげてしまったの。返して

貰ってきてよ』と泣いて抗議した。涙はしばらく止まらなかった。その

後何日かは母の顔を見る度に泣いていたが、度重なる空襲に逃げまどう

日々が続く内にこの出来事を忘れてしまった。



  戦争が終わって年月が経ち、ゆっくり考えてみたら、改めて母の気

持ちを理解することができた。当時は多くの人が戦火を逃れるために都

会を離れ、空襲の無い(少ない)ところを目指して疎開を始めていた。

そのための荷物を送るのも大変な苦労で大人は皆必死だった。当時父は

応召していたので、恐らく母は大変な苦労をしたに違い無い。一日も早

く荷物を発送してもらうために、私と同じ年頃の娘さんのいる運送屋さ

んに付け届けとしてあげたのだった。その時の母の切羽詰った気持ちが

理解できたのは私が高校生になってからのことだった。



  今年の終戦の日を目前にして思いがけず新聞紙上に『ケティ物語』

という書名を目にした時、まるで初恋の人にでもあったように懐かしく、

一気に本の内容と共に、悔しかった当時の気持ち、いかにも済まなそう

な母の顔などが思い出され、目がうるうるしてきた。できることなら

『ケティ物語』をもう一度読んでみたい。