I love you

   「君、愛しているよ」と、いきなり私の耳元で夫が囁いた。

20年ちょっと前、UCLAへの留学から夫が帰って間もなくの

ことである。反射的に私は「何よ、いきなり、気持ち悪いじゃない、

どうしたっていうの」とつっけんどんな言葉を返してしまった。

「親しくしていたアメリカの人たちは夫婦の間で、“I love you

一日に何回も何回も言っているから僕もちょっとまねしてみただけさ」

と言った。そう言えば、タレントのカイヤさんも1日に何回もその台詞を

聞かないとおさまらないと言う話を何かで読んだことがある。

  日本には古来から『以心伝心』、『言わぬがはな』、『目は口ほどに

ものをいい』などの言葉があるくらいで、いちいち言葉を口に出さなくても

お互いに理解しあえ、極端に言えば、私たちの年代ではそのような言葉を口に

するのははしたないとまで教育されてきた。むしろ、口に出さないことが奥

ゆかしいとされ、それが東洋と西洋の習慣の違いと解釈されていたのだ。

しかし、近頃では日本ももっとオープンになってきているように思う。

 確かに映画やテレビドラマを見ていると、アメリカに限らずヨーロッパ

などの西欧諸国では“I love youあるいはそれに類する言葉は夫婦間や

恋人同士の間でごく日常交わされている言葉だ。時代が移り代わり、日本でも

近頃ではごく当たり前の言葉としてよく使われている。それが時代の移り変わり

というものなのだろう。

 愛する・愛される、愛情を注ぐ対象があるということは何ものにも

かえがたい大切なことである。何も人とひとの関係に留まらず、国家、自然、

動物などの様々なものに向けられるひとつの情感で、人としての証になるもの

である。

  今年の春ころ、悪質なコンピューター・ウイルスが突然ばらまかれて、

世界各国のかなり大きなセクションで汚染される騒ぎが起こり、大問題に

なったことが報道された。日本でもあちこちで発見されたという。不審な

メールが送られてきたらあけないように注意が出されているが、「不審な」と

言われても“I love youと人の気をそそるようなネーミングのメールを

目にするとつい覗いて見たくなるのが人の常である。それにしても、

I love youとはすごい名前を付けたものだと感心してしまう。

その実、恐い恐いウイルスだとは実体と名前とのギャップが大きすぎる。

青少年を始めとして何かとすさんだ事件が多発している今日、人としての

基本的な理念である『愛』という言葉を、このように相手を陥れ、

壊滅的な打撃を与える武器(コンピューター・ウイルス)の名前には

使ってもらいたくはなかった。