私たちの合唱リサイタル 
 
 
2005年9月11日、日曜日。それは私たちの合唱団【ドリームコーラスまえばし】が初めて行
うリサイタルの日である。
 
【ドリームコーラスまえばし】は、高山先生を指導者兼代表者として平成12年11月発足した
、歌の好きな人達の集まりである。娘は発足当時の団員だが、私は昨年6月からの中途参加
だ。もっぱら聴衆の一人として、春行われる「前橋市民音楽祭」と、秋の「市民音楽のつどい」
に出かけていた。その内に、聴くだけでなく一緒に歌ったらもっと楽しいに違いないと言う思いが
募り、自分の年齢を忘れて参加させて貰うことにした。
以来、毎週火曜日には、勤め帰りの娘の車に拾って貰い練習に通っている。「カラオケ」の趣
味もない私、歌うのは子守歌以来なので、「声は出ない」、「息は続かない」で初めはとても惨
めな状態だった。多少進歩し、息継ぎを上手に誤魔化せるようになったのは、まだ最近のこと
である。
 
今ひとつ自信がないのにリサイタルの舞台に立つのはおこがましくもあり、嬉しくもあるような複雑
な気持ちだった。この合唱団の本来の目的は「皆で楽しく歌おう」と言うものだ。勿論技術を磨
かなければならないこことは言うまでもないが「楽しく歌う」ことにかけてはひけはとらないつもりと自
負し諸先輩の足を引っ張らないように気をつけて練習してきた。4月には「赤城青年の家」で
合宿練習を行い、7月からは週2回の練習となり忙しいけれど張り合いのある日々だった。
 
すべて手作りのリサイタルである。団員の皆で何かしらの役割を分担し、実際に活動を始めた
のは今年の1月だった。私は《印刷係》を振り当てられた。つまり、「ちらし」、「チケット」、「プロ
グラム」などの作成に携わるのである。さしあたっての活動は団のマークと、キャッチフレーズを決
めることで、広く団員から公募した。
団のマークは音符をアレンジしたもので、4つの声(ソプラノ・アルト・テナー・バス)を示す4本のひ
げをつけた音符を前橋市章である丸い輪で囲ったものと決まり、キャッチフレーズは『歌声に夢
をのせて』になった。
チケットの売れ具合がどうなるか、掲載広告がどのくらい集められるかなどの見通しもつかず、
収入予定も不明のままのスタートなので、経費節約のためチラシやプログラム、チケットは少し
物足りないけれど安上がりの一色刷りで無難な青系に決めた。
準備のための集会は、当然、仕事を持っている人も多いため全員がぴたりと集まれることも少
なく、ちょっとした仕事は練習日の休憩時間15分をフル活用した。ドレスの色にマッチさせた楽
譜挟み(約60人分)の制作にもこの15分は大いに役立った。「厚紙の中央に折り線を入れる」、
「色画用紙を厚紙に貼る」、「二つに折る」の3工程を3週に分けてこなし、リサイタルの10日
前にやっと完成した。この日で印刷係としての仕事はすべて終了し、一同肩の荷を下ろすこと
が出来て喜び合った。しかし、「楽譜挟みを作る仕事がなぜ印刷係なのか」私は未だに納得で
きずにいる。
大事な歌の練習は、アンコール予定の分も含めて20曲あり、マスターが容易ではない。毎月
2,3曲ずつ集中練習をするのだが半年も経つと注意された事柄をすっかり忘れてしまっている
のだ。カレンダーをめくる毎に指揮者はイライラが募りはじめ、大声を上げることもしばしばとなっ
た。それに反して私たちはどちらかというと危機感に乏しく、首をすくめたりこっそり舌を出したりし
て、いささか不謹慎だったかも知れない。遅まきながら反省しているところだ。
 
歌の練習と公演準備と、2足の「わらじ」を履いてあたふたと走り回っているうちに、とうとうリサイ
タル前日になった。この日は、衣装合わせ、賛助出演して下さる「前橋マンドリン楽団」との合
同練習(ロシア民謡)も予定されていた。女性のドレス(制服)は発足当時に作られた淡いブ
ルーのものと、今回のリサイタルのために新調したサーモンピンクのドレスとの2着だが、他に若手
はロシア民謡の時に着る民族衣装もあるので着替えが大変である。全員で新しいドレスを身
につけると気持ちが新たになり、衣装負けしないように頑張ろうと思った。
この日の練習は9時までの予定だったが、まだ1時間以上も間があるというのに先生は唐突に
「もうこれで終わりにしよう」と仰り、散会となった。早く終わったのは、皆が教えたとおりに歌えな
いことに立腹されたためか、明日の本番を前にあまり疲れさせてはいけないとの気持ちによるも
のなのかよく分からないまま、明日の健闘を誓いながら帰途についた。