ーーーー 私たちの合唱リサイタル ーーーー
《リサイタル当日》
 
9月11日、朝6時50分:
起床。いつもの休日の起床時間とほぼ同じ。
テレビで天気予報をチェックしながら朝食の準備をする。リサイタルは開演18時30分だが、
集合は13時である。従って午前中は私の日曜日の日課をこなしておくことにした。ところが、
間の悪いことに衆議院議員の総選挙の日になってしまった、まさに想定外の行事が加わって
しまったのだ。忙しい思いをしなければならないが、国民としての権利と義務を放棄したくない
ので日課の間に押し込んだ。それに、4年前のこの日は、アメリカで同時多発テロが起こり、
多数の犠牲者を出した日でもあった。歌と共に祈りも捧げたいと思う。
 
午前11時20分:
簡単な昼食を早めに済ませた。落ち着いているつもりだったが、リサイタル当日であることを気に
していたと見えて、いつもは食べるのが遅い私が一番に食べ終わってしまった。
そそくさと身支度に移る。余りメイクをしない私だが、今日は舞台に立つので少し念入りにファン
デーションを塗り、いつもよりくっきりと口紅を塗った。でも、考えてみたら、舞台へ立つまでにまだ
6時間以上も間がある。当然お化粧なんて崩れているのだと気付いたので、慌てて荷物の中に
コンパクトなどを納めた。普段はお化粧直しなどをしない私、今日は忘れずにきちんと鏡を覗くよ
うにと自分自身に言い聞かせた。
 
12時30分:
食後のお茶もそこそこに、2着の制服(サーモンピンクと薄青色)、付属のアクセサリー、ステージ
用の靴を大きなショッピングバッグに詰め、娘の車に便乗させて貰って出発だ。「午後から雨」と
いう天気予報通りに空が怪しい雲行きになってきた。雨が降り出したらお客様がなおさら少なく
なるのではないかと気をもみながら出かけた。
 
12時50分:
会場である前橋市民文化会館へ到着。仲間が続々到着するがまだ時間前なので、使用予
定の小ホールへ入らせてもらえない。落ち着かない気持ちで待っている間に、持参するつもりで
冷蔵庫で冷やしておいたお茶のペットボトルを忘れたことに気付いた。待ち時間を利用して自
動販売機で購入した。やはり緊張しているのね、リラックスリ、ラックスと苦笑い。
 
13時:
13時を少し過ぎてやっと会場へ入れた。だが、楽屋はまだ鍵がかかっているとかでドレスをひろ
げる場所がない。女性陣は皆、折角のドレスがシワになることを恐れてそれぞれバッグから取り
出し、客席にひろげた。2種類のドレスがあちこちに並びなかなか華やかで壮観だった。バス、
テノールの男性群と女性の若手は、舞台に上がって歌うときに並ぶひな壇を用意したり、伴奏用
のピアノを定位置に移動させて舞台作りに励む。
 
14時:
舞台も出来上がり小休止の後、最後の稽古が始まった。それぞれの配置についてみると舞台は
いつもの練習会場よりはるかに狭く、特に2段目、3段目の壇は身体を斜めに構えないと目白
押し状態であることが判明した。2段目以上の何人かが最前列に降りることで何とか格好が付
いた。伴奏をしてくださるマンドリン楽団の方がまだ見えないので、第2部ロシア民謡以外の曲を
一通り歌ってひとまず休憩となった。
 
15時30分:
お三時にとお団子が用意されていた(気が利くこと)。めいめい楽屋やロビーでおしゃべりしながら
いただく。「プロの方は歌う前にはあまり食べないと聞くけど、私たちはお腹が減っていたのでは
歌えないわよねえ」、「頂きましょう、頂きましょう」と言うわけである。
 
16時:
マンドリン楽団と最後の音合わせ。楽団の方々は歌い手の前に座るので椅子と譜面代が必要。
男性はふたたび椅子運びの肉体労働にかり出された。男の方って大変だわ。
 
17時:
最後の練習が終わると大急ぎで舞台の上を片付け、ピアノをふたたび移動させてから楽屋で
夕食をとった。開場の時間が迫っているのでもう客席を使うわけにはいかない。押しくらまんじゅう
状態の楽屋で、配られた「いなり寿司と海苔巻き」のお弁当をお茶と共に頂く。いなり寿司が
苦手の人、海苔巻きは嫌いと言う人など色々、まるで遠足か何かのように取りかえっこしたりし
て、リサイタル直前とは思えない和気藹々の雰囲気だった。皆で初めての経験に対する緊張を
隠そうとしていたのかも知れない。
 
17時40分:
ステージ衣装に着替え始める。第一ステージは発足当時からある薄青色のドレスだ。私は途
中参加なのですでに辞められた方の衣装を譲り受け、自分で手直ししたものである。背丈も
身幅も私のサイズより大きな方だったので、直してもまだ余裕たっぷりだ。何日か前に「まだブカ
ブカなのよ」と話をしていたら、「そんなの簡単。胸を大きくすれば誤魔化せるわよ」とNさんがアイ
デアを下さった。なるほどと、サイズの大きな下着を購入し胸を人工的にふくらませ、豊満な美
女(?)に変身したつもりだが・・・。
男の方は今回新しく作った白い上着に女性の制服の色に合わせたチーフをポケットに入れた。
男性達は着替えをした後、ロビーでお客様のお出迎えをする予定なので早めに楽屋を後にした。
女性も着替えが済んだ人から舞台の袖に集まって出を待つ。
そこへ男性の伝令が走って戻って来て「まだ開場前なのにもう入場を待つ人の行列が出来て
いる、モニターで見てごらん」とのこと。たかが素人合唱団のリサイタルである、「幕を開けたとき、
客席に坐っているお客様がまばらだったらどうしよう」と心配していたくらいだったのだが、思いも
寄らないビッグニュースだった。口々に「良かったわね、後はしっかり歌うだけよ」と喜んだ。
 
18時15分:
舞台に並ぶように声がかかった。 第一ステージは「日本のポピュラー曲」だ。
はじめは『三々五々の並び方』で幕が開くことになっていた。パートに関係なく何気なく無造作
に何人かずつかたまって立っているようにと言われていた。練習の時におよその並び方は決まって
いたのだが、改めて「ピアノの前にも並べ」とか「もうちょっと男女が混ざり合って」とだめ押しが出る。
前列に坐っている方に靴音が聞こえたかと思うほど、どたどた移動してやっと落ち着いた。この時
身体を動かしたお陰で少しこちこちになっていたからだがほぐれ、気持ちが軽くなったようだった。
井上陽水作詞作曲の『少年時代』を歌い始めてから幕があがる予定だ。定位置についた指揮
者がおもむろに腕時計を眺め、皆の気持ちをほぐすかのようにニッコリ笑いかけて、腕を構えた。
さあ、いよいよ本番だ。
 
第1ステージ
 ♪ tulululululu tulululu・・・ 夏が過ぎ 風あざみ・・・  ♪
この辺りまで歌うと幕はすっかり上がって、会場から拍手が沸き上がった。なんて素晴らしい気
分だろう。この日のために一生懸命練習してきたのだから頑張らなくては・・・。
うん、私も声はちゃんと出ている。歌の途中で指揮者の指先からちょっと目を外し、客席をこっそ
り見た。前のほうの席は舞台照明である程度見えるが、5,6列目から後ろは想像していたより
かなり暗く、人の顔がはっきり見えない。どなたが来てくださっているのか見ようと思っていたのに、
これでは駄目だわと思った。
 
 
 
第1ステージ:
「少年時代」、「精霊流し」、「Love is]、「日だまりの詩」、「誰もいない海」、「あの素晴らしい愛をもう一度」
 
最初の曲が終わったとき、練習で歌っていたときより上手に歌えたような気がした。「どう?」と
ばかり指揮者の顔を窺う。「うん、まあまあだな」という顔に見えた。2曲目の「精霊流し」は春の
音楽祭でも歌ったので、皆かなり自身のある曲だった。これは感情もこめて充分に歌えたように
思う。
2曲目ともなると、もう気分的にはかなりリラックスしてきて、少しでも上手に歌いたいと言う欲も
出てきた。夢中で6曲が終了した。私は去年の秋の初舞台より上がらないで上手に歌えたと
思う(これは自己満足?)。
 
第2ステージ
第2ステージは「ロシア民謡」で、賛助出演してくださる前橋マンドリン楽団の伴奏によるものだ。
私たちの合唱団は創立5年に満たないが、前橋マンドリン楽団は今年創立40周年を迎える
という由緒正しい楽団なのだ。
このステージでは楽団の椅子・譜面台などを用意をする時間が必要である。指揮者兼合唱団
代表の高山先生にここでご挨拶をしていただき、準備の時間に当てた。女性の若手と男性の
一部は民族衣装に大あわてで変身。私たち一般の女性陣は先程のドレスの上にレースのスカ
ーフを首筋にふわりと掛け、男性は上着を脱ぎワイシャツの襟元に色とりどりのネッカチーフを見
せてぐっとカジュアルな感じに衣装替えである。慣れないロングドレスだ、裾を踏んで転ばないよう
に気をつけ、「はーはー」言いながら急いで舞台へ戻ったら、先生はまだお話を繋いでいてくださ
った。アタマの後ろについているもう一つの目玉(?)で状況を確認していらっしゃったのかと思った。
お陰で無事整列できた。
 
 
第2ステージ:
「ともしび」、「小さいぐみの木」、「はてもなき荒野原」、「モスクワ郊外の夕べ」、「道」、「泉のほとり」
 
 
 
  ♪泉に水汲みに来て 娘らが話していた 「若者がここに来たら 冷たい水あげましょう」 ♪
 
この歌の終了後、娘らは客席の中へ降り行って籠の中の小さな花束をお客様に差し上げた。お出でくださった皆さま
に差し上げたかったのだが、すべての方にはとても行き渡らず、残念だった。
 
 
戦後、「歌声喫茶」の隆盛や、コザック合唱団の来日公演などでロシア民謡が巷に浸透し、
未だに根強いファンも多いらしい。私も懐かしい曲がたくさんある。
やや哀愁を帯びたマンドリンの伴奏で私たちの合唱も引き立てていただけたと思っている。
ロシア民謡特有の重厚な旋律、ドラマチックな曲などが独唱を交えながら進行した。ここまで
来ると私たちもかなりステージで歌うことに慣れて、客席を見渡す余裕も出てきた。ロシア民謡
のステージ最後の曲《泉のほとり》になると、民族衣装の若手の女の子は舞台上手の花道へ
移動して若者の気を惹くように歌い踊る。正面ひな壇に並んだ残りの人達はいわゆるバック
コーラスである。
 
 
 
   ♪「ふた月もの戦いで ひげも髪ものびたのさ 娘さん許してくれ このむさくるしいなりを」 ♪
 
曲の2番に移ると男の人達は隠し持っていた、とてもカラフルでむさ苦しいひげとカツラを一斉に
被り始めた。手早く格好良く、と焦れば焦るほど上手つけられず、もたもたする兵士に会場は
笑いの渦に包まれた。真正面から見ている指揮者はにやにやが止まらないし、本人はもとより
バックコーラスも我慢できずに笑ってしまった。
 
 
 
   ♪ そこへ床屋の兵士が来て 「ひげ面は集まれ」 みるみる若者(?)は魔法の水で洗ったようになった ♪    
                                         
 
オマケに、床屋の兵士が持ち出したのはとてつもなく大きなハサミとクシ。これらを振りかざすや
いなや、折角四苦八苦しながら着けたカツラとひげは一気にむしり取られ、投げ捨てられてし
まった。このパフォーマンスは大受けで、やんやの拍手を頂いた。
この後のステージは、賛助出演してくださった前橋マンドリン楽団の演奏に移るので、一同ステ
ージをひきあげようとしたとき、大向こうから黄色い声がかかった。
可愛い声で 『オジイチャーン、ガンバッテー』
客席も舞台も笑いと拍手がわき起こった。
ああ、私たちの合唱団のサポーターは、なんて素敵なんでしょう!
 
みんなで歌おう
このコーナーは《森のくまさん》だ。ここでは若手女性陣が総出で歌唱指導、ピアノ伴奏、輪唱
などのお手本の役割を担った。男性歌手は客席通路へ出て輪唱のリーダー役を務めた。中高
年女性歌手はここで小休止をした。はき慣れない踵の高いパンプスを履いて足が痛いと脱いで
裸足になってしまう人、用意周到に持参したスリッパに履き替える人、「もういい加減疲れたわ」
と椅子に腰掛ける人などさまざまだ。私は靴を脱ぐほどではないし、若い頃から立っていることに
慣れていたので特に苦痛は感じなかったし、気が張りつめているせいか平気だった。
 
 
 
      ♪ あるー日 森の中 くまさんjに出会った 花咲く森の中・・・ ♪
 
客席とご一緒の練習が一通り終わると、可愛い女の子と怖そうな森のクマさんが登場して新た
なパフォーマンスに移った。女の子とクマさんはこの格好で歌に合わせてピアノの周りを踊ったのだ。
可愛い女の子が持っているのは特大のソフトクリームではない。森のくまさんが拾ってくれた『白い
貝がらの小さいイヤリング』である。会場の方々の歌も、手拍子も良く揃ってなかなかの成功だ
った。聴衆の方々にも参加していただくことはただ聞いているだけよりは、一緒に歌ってリラックス
していただけたと思う。後でアンケートを見たらなかなかの好評だった。
 
第3ステージ
とうとう最後のステージまで来た。ぴったり定刻に始まったところまでは時間を把握していたが、
始まってしまうと、1年間練習を積み重ねたあれだけの歌もあっという間に終わってしまった。ここ
まで来るともう時間の感覚はない。若手が「みんなで歌おう」を演じている間に残りのものはこの
日のために新調したサーモンピンクのドレスに着替え、舞台の袖で最後のステージを待ち受ける。
みな興奮して上気して、紅い顔をしている。
第3ステージのサーモンピンクのドレスは、私の年齢ではまず選ばないようなきれいな色だ。ちょっ
と気恥ずかしい気がするが、発想を換えるならこのような機会でないと着られないかも知れない。
素直に若返った気持ちで着て楽しむことにした。
ここでは日本の名曲5曲を歌う。「大地讃頌」、「花の街」、「秋の子」、「落葉松」、「山頂雷
雨」で、このうち3曲は私たちにとってはかなりの大曲なので暗譜は無理。そこで私たち印刷係
が内職のようにして作ったえんじ色の楽譜挟みが登場したのだ。鈴木松子作詞・平井康三郎
作曲の「山頂雷雨」が最後の歌だった。平井氏が赤城山へ登られたときの印象を曲にされた
もので、とてもメリハリがあり歌い映えがする。激しい夕立の後、爽やかで凛とした山の気配移っ
ていく曲想はドラマチックで私たち歌うもの自身も、充実感が味わえるものだ。この曲の最後の
歌詞『・・・虹の浮き橋』をフォルテッシモで歌い終わると張りつめていた気持ちがプツンと切れた
ような思いがした。大きな拍手の中、私の気持ちには空白の瞬間があった。
しかし、これで終わったのではなかった。
 
アンコール
密かに「サクラ」をお願いしてあったのかどうか真相は知るよしもないが、最後の拍手喝采はい
つの間にかアンコールを促す手拍子に変わったのだ。勿論私たちはこんなこともあろうかと、図々
しくもアンコール曲もちゃんと練習してあった。「BELIEVE]、「今日の日はさようなら」の2曲だ。
一年がかりで準備した私たちのリサイタルもとうとうこの2曲を歌ったら本当に幕を引く時なのだ。
やったあ、と言う満足感が体中に広がった。客席に向かって深々と頭を下げられている指揮者
と私たちの目の前を緞帳がしずしずと降りていった。みんな静かに微笑んでいた。歌の出来不
出来はもう関係なくなっていた。
そして、来場してくださった方々に挨拶するためにもう一度緞帳が上がると、皆の表情が「団員」
から「個人」の顔に戻っていた。そして、にこやかに舞台の先まで走り寄って席を立つ方々に向
かって手を振った。お友達を見つけて挨拶する人、屈み込んで握手する人、遠くの人に大きく手
を挙げてみせる人など表現法は違うが、皆「満足」、「達成」、「とうとう終わった」という言葉が
体中を駆けめぐっていたと思う。
長いようで短く、短いようで長かった1年間の準備。そして私たちのリサイタル、とうとう終わって
しまった。
 
 
アンコール曲も終った。これで本当にお終い。感無量となった。
 
 
写真のこと:
ここに載せた写真は全部客席で夫が撮ってくれたものである。この報告記を書こうと計画したとき、はじめから練習
風景のスナップ写真を少しずつ撮って、挟んでいくつもりだった。でも、実際には必死の練習でそれどころではなく、
準備段階の様子、練習風景は一枚も用意できなかった。
 
アンケートのこと:
リサイタル当日、会場へ足をお運びいただいた方々にアンケートをお願いしたところ、397人というとても沢山の方が
それに応じてくださいました。有り難うございました。ほとんどが好意的なものでした。
その中に「高齢の方が一生懸命頑張っていらっしゃる姿に感動しました」と言うのがありました。「イエーイ!ついに私も
人に感動を与えることが出来た」と嬉しいかぎりでした