夫操縦法教えます(ただし中高年) 
 
 

    「うちの主人は定年退職したら、朝から晩まで家でごろごろしていて

私をこき使うのですよ、いまや家庭内離婚に近い状態になってしまいま

したの」。私とほぼ同年代のA子さんが、診察室の椅子に座るなりこう

いった。「一日中座ったきりなにもしないんですよ。新聞を取ってこいと

か、お茶をいれろとか言って。そりゃ、私も今まで専業主婦で食べさせ

てもらっていましたけど」。確かに定年までの何十年か、毎日仕事に

出ていた人にとって退職後は毎日が日曜日だと思ってしまうのかもし

れない。その点、専業主婦には定年が無いから退職後何もしない夫

の行動がいらつきの元になる。妻だって夫と殆ど同じ期間主婦という

仕事をしてきたのだから、この際少しは楽になりたいと考えるはずだ。

しかし、今の若い年代の人たちは違う、夫や子供が家事を分担する

のは当たり前になっているが、我々の年代が働き盛りの頃はそう

では無かった。夫は仕事、妻は家庭内を切り盛りするというパターンが

どちらかと言えば多かった。従ってある程度年をとると【亭主元気で

留守がよい】とか【濡れ落ち葉】などの言葉が妻達の間で囁かれ、極端

な場合は熟年夫婦の離婚に発展したのではないだろうか。現代社会の

若い人たちの協力ぶりを見るにつけ、老いた妻は「あーあ、家でも夫の

協力がほしいな」と思ってしまうことが多くなるのだろう。           

  「A子さん、思いきってまず毎週のゴミだしを手伝ってもらうように

頼んでみたらどう。最近は結構男の方がゴミだしをしているから、あまり

抵抗なく手伝ってもらえるかも知れないわ」と勧めた。「えー、でも」と

渋る彼女に「でもね、やってもらったら必ずねぎらいと感謝の言葉をかけ

るのよ」と付け加えた。確かに我が家もはじめの頃はなかなか夫の家事

協力は得られなかった。でも私も仕事を持っている都合上、ぜひとも力が

貸して欲しいと思った。私もまずゴミだしから頼んだ。クリアした後は

少しずつ仕事の種類を増やし、今ではかなりの家事協力が得られるよう

になり大いに助かっている。しかし手伝ってもらっても当たり前という顔を

してはいけない、少なくとも現在初老期にある年代の男の人は何故か

〈男のプライド〉?のようなものをもっている人が多いように思えるから

だ。私の場合、絶対条件として必ずお礼を言うことを心掛けた。感謝

する、誉めるなどの言葉をさり気なく口にするのである。シドニー五輪

で優勝した女子マラソンの小出監督もとにかく誉めることが目標達

成の一番の近道だと言っていた。まさに私自身も同じように考え、

実践し、ほぼ成功したのだった。    

    あれから何ヶ月か経ったある日、A子さんが「先生、毎週のゴミ

だしと表の掃除はいつも夫がしてくれるようになりました。先生が教

えて下さったように頼んで感謝するを実行したのですよ」と診察時に

明るい顔で報告してくれた。私はそんな話をしたことなどすっかり忘れ

てしまっていた。彼女は成功したのだ。私は思わず「これって中高年

世代における夫操縦法の決め手なのかもしれないわ」と

心の中で呟いた。