食堂車が無くなる 
 
 
 

    新聞を広げたとき『東海道山陽新幹線の食堂車廃止』という活字が目を引いた。

列車が高速化されて乗車時間が短くなったために食堂車を止めて売店を充実していく

ことになったそうだ。唯一残されていた東京・博多間4往復の食堂車も3月いっぱいで

無くなると書かれていた。「とうとう新幹線の食堂車が無くなってしまうんですって」と夫

に声をかけたが、「ふうん」と気のない返事しか戻ってこなかった。             

   でも私にとって食堂車廃止のニュースニ対する思いは少し違った。京都に生ま

れ、幼い頃東京へ出て来た私の親戚は関西に集中していたので東海道線はなじみの

深いものだった。それこそ蒸気機関車(SL)が走っていた時代から事ある毎に乗って

いたのだから年期入りかもしれない。記憶に残る『特急つばめ』という名前はかっこい

いと思っていた。特急とはいえ当時東京・京都間を走るのに5−6時間はかかってい

た。「今日は富士山が見えるかな」と窓ガラスに額をこすりつけたり、波が寄せては返

す海岸で遊ぶ子供達を眺めたりしていた。もう一つの楽しみはなんと言っても列車内

での食べものだった。記憶に残っているのはグリコ牛乳(コーヒー牛乳のような甘い飲

み物)と筒状のアイスクリームとアイスキャンディーの中間のようなアイスマック(アイ

マックだったかも知れない)で、運良く停車駅で買ってもらえるととても嬉しかった。

しかし、一番のお気に入りは白いクロスと銀色の一輪挿しをのせたテーブルが窓際に

並んだ食堂車だった。食堂車へ入ったとき、ウエイターがコップや料理の皿をお盆に

のせてバランスをとりながら揺れる車内を行き交う様に目が釘付けにされた。「まるで

サーカスみたい」と感心してしまった。第二次世界大戦が急を告げるまではメニューに

洋定食があったと思う。スープに始まりウエハースのついたアイスクリームまでコース

でサービスされていた。私はそれを『変わるごちそう』と呼んで運ばれてくる皿をわくわ

くしながら待っていた。                                     
                                     

   東京オリンピックを機に新幹線が出来てスピードアップされ、『のぞみ』なら2時間

余りで京都へ行けるようになり、確かに食堂車に足を向ける機会も少なくなった。それ

でも、学会やその他で機会ある毎に食堂車を利用し、朝定食やサンドイッチ等を食べ

ていた。ひと頃の朝定食は行列のできるにぎわいだった。快適な車両で時間をかけず

に目的地へ行ける便利さと引き替えに、ゆったりと時をうつす旅行の思い出の食堂車

もとうとう無くなってしまう。それなら一層のこと究極の豪華列車『オリエント急行』の食

堂車まで足をのばしてみようかと思うこの頃である。