丹前が再び日の目を見る



  あれからもう1年が過ぎた。あの日、私はテレビでニュースショウを見ていた。

いきなり画面が変わったと思ったら飛行機が背高のっぽのビルに突っ込むところ

だった。てっきりCMに切り替わったのだと思う一方で、それにしても凄い迫力

で真に迫っていると思いながら見ていた。画像とともに「いま、アメリカから入っ

てきたニュースです」とナレーションが入ったのでこれは大事件だとテレビに釘

付けになった。何度も何度も繰り返し写しているうちに、2機目が隣のビルに同

じように飛び込んだ。これが昨年の同時多発テロの始まりだった。このテロで日

本人を含む大勢の人々が犠牲になった。貿易センタービルもペンタゴンも、そし

て突入を阻止しようとした飛行機の乗客全員がテロリストと共に荒野に墜落した

現場も、どれもすざましいもので日本で映像を見ているだけでも心が痛んだ。



 それからの1年、首謀者とみなされる人物を追い求めて、アフガニスタンの各

地が空爆を受け、さらに多くの犠牲者が出、家を追われて難民となった人も少な

く無い。犠牲者の家族で無くてもテロを憎む気持ちは十分察することができるし、

確かに卑劣なテロは阻止しなければならない。でも、一般市民がそれに巻き込ま

れて難民となり、住むところも無く日々の食料にも事欠く状態に追い込まれてい

る現状はどう考えれば良いのだろう。武力による報復がより良い形なのかどうか

賛否両論あるが私は武力報復には賛成できない。



 これから冬に向かうアフガニスタンで難民の人たちはどうして寒さを凌ぐだろ

うと気になり、ささやかながら力になりたいと思っていた。そんな矢先、古着支

援のホームページを見つけ、これだと思った。まだ着られるのに捨てるのは勿体

無いとしまっておいたジュニアのスキーウエア、少し流行遅れのオーバーやセー

ターがある。これをアフガニスタンに送ろう。そう考えて、古着支援のホームペー

ジの送り方を読んでいたら、なんと丹前も防寒着として送っても良いと書いてあっ

るではないか。確か父の丹前がどこかにしまってあったはずだと一生懸命探した。



 私が小学生の頃、父は日曜日になると和服で寛いでいた。夏は浴衣、冬は丹前

を着ていたっけ。母は毎年季節が変わる度に和服を解き、洗い張りをし、縫い直し

ていた。そのうち洋服が幅を利かすようになると当然のように和服はめったに着

られなくなった。仕立て直した丹前もタンスの奥へしまったまま忘れ去られてし

まった。母の死後タンスの整理をしていて見つけたが、せっかく仕立て直した丹

前を捨てるのは忍びがたく、そのままにしておいたのだ。良かった、母が縫い直

した丹前が再び誰かに着てもらうことができる。これも送る荷物の中に入れるこ

とにして今日虫干しをした。これからの寒い冬、誰かに温もりを分けてあげること

が出来て本当に良かった。