戸隠森林植

2.アサギモドキを見た】

  今年の夏休みも例年通り家族で野尻湖へ出かけ、戸隠森林

植物園へ足をのばした。今年の第一の目的は「樹木の幹に耳を

つけて、その息遣いを聞きとろう」という事だったが前述の通り

失敗に終わった。木に抱きついて耳を澄ましていると聞こえる

のはもっぱら小鳥達のさえずる声で、この時期もっとも誇らし

気に鳴いているのはウグイスである。とても息長く「ケキョ

ケキョ、ケキョ」とまるで競いあっているかのようだ。双眼鏡で

探してみたが見つけられたのは茶色い小さなミソサザイ

だった。ウグイスは声だけで結局見つけることは出来なかった。

  視線を下げると、潅木の間には野草の花が咲いていて蝶が

舞っている。黄色や白い蝶、アゲハ蝶がそれぞれ群がって舞って

いることが多かった。薊の群生しているところへ来たら、今までに

見たことのない色の蝶が1頭だけひらひらしていた。『星条旗みた

いな蝶!』娘達と私は異口同音に声をあげた。前の羽は蒼い色に

黒の縁取りとすじがあり、後ろの羽は薄赤紫に白い筋のついた蝶

であった。はっきりとしたスター・アンド・ストライプとはとても言え

ないが、遠目には何となく古ぼけて色褪せた星条旗のように見えた。

『まあ珍しい、こんな羽の色をした蝶は初めて見たわ』と私。

  皆で皆でああでもないこうでもないと言っていると、ちょうど通り

かかった中年夫婦の奥様が、『アサヒモドキという名前の珍しい蝶

ですよ』と教えてくださった。そんなに珍しい蝶なら記念兼証拠写真

を残して置かなくてはと、カメラを持っている夫に『早く写真を撮って、

撮って』と頼んだ。しかし、カメラを構えたとたん、蝶は木立の奥の

方へひらひらを優雅に飛んでいってしまった。はにかみやの蝶だった

のか、繁殖の相手を捜しに行ったのか、とにかく残念だった。

  植物園を出る前に園内にある学習館の図書室へ寄り昆虫図鑑を

開いてみた。「アサモドキ」は私の聞き違いで「アサモドキ」が

正式な名称で、挿入されている写真も確かに今見てきた蝶だった。

もし名前を教わらなければ調べてみることもないまま忘れ去ったに

違いない。

  後日、さらに調べてみたら、アサギモドキは日本では北海道を

除く各地の深山に生息している比較的大型蝶であること、長距離

飛行をすること(昨年のマーキング調査報告によれば最長飛行

距離193km)、蒼い色は幼蝶ほど鮮やかで成長するにつれて

白っぽくなること、好きな花の一つは薊であること、長野県美ケ原

の自然観察保護センターにはアザギモドキ研究会が設置されて

いてマーキング調査を行っている事などを知り得た。あの羽の

色と模様に惹かれてかファンが結構多いらしく、インターネット

上に観察した地域・時期・時間の報告や、写真を載せている人も

いた。私だって今まで何回も訪れていた戸隠で今回始めて

出会った蝶だし、ましてひ弱な小さな生き物に長距離飛行が

出来るとは思ってもいなかった。始めて蝶に出会い名前を教えて

貰ったことをきっかけにいろいろ調べてみて改めて生物の不思議

に感動した。それにしてもあのご婦人は物知りだった。