【トルコの休日】   14)「パムッカレ」、「ヒエラポリス」
 
エフェソスで古代ローマ、クレオパトラへと思いを馳せ、夢を見た私たちは、再びバスで200キロの道のりを進み、夕方、パムッカレのホテルへ到着した。温泉プールのある結構大きなホテルで、日本で言うなら、いわゆる温泉観光ホテルのようなところだった。プールやプールサイド・ラウンジでは、リゾート気分の外国人客で賑わっていた(そう言えば、私たちもここでは外国人でした)。
さあ、明日は初めてのトルコ自然遺産「パムッカレ」の見学だ。
 
《パムッカレ》
澄み渡った青空の下、突然、茶色い山肌とは対照的に、神々しいまでに白く輝いた、まるでスキー場のような斜面が見え隠れするようになった。皆、バスの窓ガラスに顔を寄せて、「パムッカレだわ、真っ白、きれいね」と見とれる。ゴロゴロと石の転がった土色の世界の中に、唐突に現れた銀世界にはまったく驚かされた。ここが世界自然遺産の一つ「パムッカレ」なのだ。その上方にはBC2世紀頃の遺跡「ヒエラポリス」もある。
 
「パムッカレ」とはこの地帯の地名で、トルコ語で「綿の城」という意味である。繁栄していたBC2,3世紀からAD1ー2世紀頃には、丘の上から豊かな温泉が湧き出ている温泉保養地だったという。温泉は、数千年の時をかけて湯溜まりを作りながら斜面を流れ落ち、含有していた多量の石灰成分が冷えて結晶して石灰石となり、少しずつ沈殿して固まったものがこの白い景観をなしているのだ。丘の上から下へと段差をつけて何層もの白い平面が広がりまるで棚田のように連なっていた。私たちが行ったときには温泉は流れていなかったが、いくつかには水(温泉)が溜まっていた。溜まった水はあくまでも青く透明で、まるで空が溶け込んでいるかのように見えた。
 
この地域も近年の乱開発に伴い、温泉の湧出量が激減し、次第に銀世界が崩れて白い輝きを失い、{綿の城」も破壊されつつあるそうだ。そのため、現在温泉は季節と時間を限定して流し、保護に努めているのだという(私たちが行ったときは止まっていた)。さらに、崩壊に拍車をかけないように、観光客は一定のルールに従って見学する。
1)「綿の城」に入るときは裸足になること(バスを降りるときに靴入れ用のビニール袋を渡された)。
2)「綿の城」の周囲には見学用通路が作られ、そこからはみ出してはいけない。だから、「あそこへ行って写真が撮りたーい」気持ちは抑えなければならない。
3)見学用通路の無い部分だけは足を踏み入れてもよい。
 
崩壊し始めているとは言え、離れて見ていると、石灰棚は良く整備された「ゲレンデ」そっくりだ。とても冷たくてフワフワした雪の感触を想像していたが、入ってみると。実際にはコチコチで、思いの外固かった。踏みしめた感じは、のっぺり平らで、ツルツルして滑りそうで、恐る恐る歩く所と、一面に細かい突起が出ていて、でこぼこして足の裏が痛くてよろよろ歩くような場所もあった。結晶するときの外気温や温泉の流速、その他の条件によって石灰質の固まり具合が変わるのかも知れない。
 

まるで雪景色のような銀世界。でも日射しはとても暑い、そしてとても眩しい。観光用通路は細い板張りの道が多く、立ち止まってゆっくり写真を撮っていると、後から来た人の邪魔になる。
上方、右奥の方が「ヒエラポリス」だ。
 
温泉の湧出量が目に見えて減るまでは、自由にどこへでも足を踏み入れたり、お湯が沢山あるところでは遊泳も許可されていたらしい。世界自然遺産として登録された今では、色々な規制をしてひたすら保護に努めているらしいが、元の豊かな温泉地「パムッカレ」に戻ることがあるのだろうか、疑問である。
見た目はきれいだが、照りつける太陽と、白い石灰棚からの反射でとにかく眩しくて暑いところだった。スキーの時に使っているミラーのサングラスを用意していったが、それでも眩しかった。
 
《ヒエラポリス》
「パムッカレ」の白い棚田上方に位置するのが、トルコではもっとも内陸部のローマ遺跡と言われる「ヒエラポリス」(「聖なる都市」という意味)である。BC190年頃から作られた都市遺跡である。繁栄時には約5万から10万の人びとがこの辺りに暮らしていたと言うから大都市だったのだ。トルコ、最初の日に訪れた遺跡・ベルガモン王国(「アクロポリス」、「アスクレピオン」の項参照)の王の一人が建設した。円形劇場や神殿、大浴場などの遺跡が今も残っているのだが、今回の旅では「綿の城」が目的だったから、遺跡の見学はなく、自由時間にごく一部を垣間見ただけだった。
 
この辺りは土肌をさらけ出して埃っぽく、樹木はとても少ない。まるで発掘を中断したかのように、大きな石のアーチや何かの土台らしいものがが中途半端にゴロゴロしていた。出土品や立像などの重要なものは敷地内に建てられている「ヒエラポリス博物館」に収蔵されていると言うことだが、あいにく私たちが訪れた日は休館日だった。塀の外から庭園にあるいくつかの立像を眺めただけだった(残念)。
 
「パムッカレ」と「ヒエラポリス」の境界近くまでもどって来くると、ガイドのフラットさんは木々のこんもり茂った奥の方を指して、『この奥右手にアンテイーク・プールや売店があります。自由に見て、○時○分くらいにこの場所に戻ってきてください』と言うことで、ひとまず自由行動となった。
石灰棚を上から見るために頂上目指して歩いていく人、売店やトイレへ行く人、プールを見に行く人とそれぞれ別れて行動した。我が家族は「アンテイーク・プール」という耳慣れない言葉に興味を抱いて、暑くて埃っぽい道をそちらの方へ向うことにした。
 
小さな売店が並んだ一角に、“ANTIQUE POOL” と看板を掲げたアーチ型の入り口があった。くぐるとプレハブ建築のような休憩室兼脱衣室兼ロッカールームの建物があり、人びとがウロウロしていた。その横を通りぬけると、複雑に入り組んだ、不正型の池のようなプールがあった。プールの周囲はコンクリートで固められていて結構広い。プールは下の写真で見える茂みの向こう側へ伸びていて、その奥に温泉源があるらしい。温泉は35度程度と言うから水中は外気温より涼しいのだろう。底は石灰棚のように、白いものが沈殿している様子は全く無く、石が敷き詰められていた。大自然の中で、何千年という長い時間をかけて徐々に冷えながらゆっくり流れていくと言う条件を満たさないと「綿の城」にはならないのだろう。泳いでいる(水に浸かっている?)人びとの間に円や四角の大きな石の塊が見える。ローマ時代の遺跡を掘り出さずに(?)そのまま温泉を張り、プールにしているから、ここを「アンテイーク・プール(古代プール)」と名付けたそうだ。水の中で遺跡に見入っている人もいたが、ほとんどは遺跡の間を泳いだり漂ったりして温泉を満喫しているかのように見えた。
貴重な遺跡は温泉で侵食されないのだろうか。悪戯をする不届きものはいないのだろうか。それにしても遺跡を水底に沈めたままプールにしてしまうと言う発想は理解し難い。
 
 アンテーク・プール。ここでの遊泳・見学はゆったりした旅程でないと無理でしょう。タオルの貸し出しは無いようです。泳いでいる日本人は見かけませんでした。
 
さらに、この「ヒエラポリス」には、1000を越す墓石の並んだ、古代の墓地が併設されていて、「ネクロポリス(死者の町)」と呼ばれている。「ヒエラポリス」が栄えた当時からローマ時代、さらにビザンチン時代(12世紀頃)に至るまで使用されていて、それぞれの時代に特徴的な形の石棺が多数あり、時代を超えて長年使用されていた墓地だそうだ。ここも見学コースには含まれていなかったので見ないまま、次の訪問地へ向かった。