【トルコの休日】
                             18) ゴルデオスの結び目
 
 
話は少し戻るが、エフェソスで壮大な都市遺跡を見学した帰りに、少し離れたところにあるエフェソス考古学博物館へ立ち寄った。そこには、エフェソスで発掘さた約1000点の出土品が展示されていた。アルテミス神殿から発掘された豊穣の女神アルテミスの大きな像2体を始め、ギリシャ風の衣装を纏った像(ギリシャ神話に出てくる神々が多い)や、神殿などにあったレリーフ、当時外科手術に使われていたメス・ピンセットなど医療器具、あるいは武器などがあった。
 
中には、ソクラテスのフレスコ画(一部欠損)もあった。有名なソクラテス、、この古代ギリシャの哲学者の描かれたフレスコ画がエフェソスで見られるなんて思いがけないことだった。エフェソスは今はトルコの一都市であるが、当時はここもギリシャの属領の一つとなり、学問はもちろんのこと、さまざまな出土品、衣服や生活様式に至るまでその影響が多大だったことを再認識させられた。
 
 
 写真1:エフェソス考古学博物館入場券
       中央ホールの展示物、戦士の像と言うことである。
       実寸6.3×7.5cm 入館料 2.5トルコリラ(400円くらい)
 
博物館をうろうろ廻るのは好きなので、あれこれ見て歩いた。日本語ガイドブックあればもっと組織的に見られて最高なのに・・・。
とある一角に、粘土細工のような、現代のパズルの迷路のような板状のものが陳列されていた。あの頃にもパズルがあったのかしら、面白いわと思って写真に撮った。唐草模様のようでもありちょっとモダンな感じが気に入って撮ったのだが、うっかり、タイトルに注意をむけないままこのコーナーを後にした。
 
先日(5月に入ってから)、月遅れで読んだ雑誌《ニュートン3月号》の中に、トルコで見たのと同じ円形劇場の写真を見つけた。
「あらあら、トルコで見たのと同じじゃないの」と思ったら、それもそのはず、トルコのクサントスにある遺跡だった。その記事は『アレクサンドロス大王の東方遠征』(写真:鈴木革、文:森谷公俊)と言う題名がつけられていた。
大王に纏わる数々の写真と共に、東方遠征の足跡を記した地図も載っていた。それによると、アレクサンドロス大王はアジア征服をめざし、自国マケドニアを出てアナトリア半島(小アジアとも言われる、現在のトルコ共和国のアジア部分)の西端にあるトロイを経てエーゲ海沿いに南下し、エフェソスを通過したあと、一旦内陸、ゴルデオン(現在もこの地名が使われている)へ足を延ばしたあと、イッソスへ向かっている。
 
「ゴルデオン」という地名が、私の遠い記憶の中で鐘を鳴らした。そうだ、私が中学の頃、イソップ寓話(ギリシャ神話にもある)の中の『王様の耳はロバの耳』という劇をやった。この王様というのが、何でも触ると黄金に代わってしまうと言う「ミダス王」だ。この劇の中で『♪ ミダスの耳はロバのおミミ ♪』と囃す場面があったのだ。そう言えば ミダス王はゴルデオンの王様だったのだ。
 
ミダス王は、BC8世紀頃のフリギア国(後のゴルデオン)の2代目の王だと言われている。初代は神託によって王になった貧しい農夫ゴルデオスで、彼は王に迎えられた感謝の印として、自分が乗っていた牛車を神殿に捧げた。奉納するとき、樹皮で作った縄で特殊な結び方をして牛車を神殿に繋ぎとめ、「この結び目を解いた者はアジアを支配する」と預言した。
多くの者が試みたが解くことができないまま時が経過した。BC333年にゴルデオンへ立ち寄ったアレクサンドロス大王はこの話を聞くと、一刀のもとに結び目を断ち切ったとされている。手荒い方法ながら、結び目を解いたことになる。
アレクサンドロス大王の足跡を見ると、確かに彼とその軍隊はエジプトをものにし、アナトリア半島を征服してインドまで行っている。征服した各地にアレクサンドリアという都市名を残し、当時は60くらいあったらしい。大王の行動から、ゴルデオスの予言がある程度実現されたと言えるのかも知れない。
 
このミダス王の記憶からにわかに思い付いた。夢のような話だが、エフェソス考古学博物館で撮ったこの【写真2】は、『ゴルデオスの結び目』を模したものかも知れない、と。
ああ、タイトルなり、説明をきちんと撮っておくのだった。
 
皆さん、何に見えますか。
 
 
 写真2:エフェソスの考古学博物館の展示物の中でパズル状のもの。
      迷路のようなビックリ画の「ようなもの。モダンでパズルのようで、とても興味を惹かれた。
     何かを模して粘土で作ったかのように見えた。 40×50センチくらいの大きさ。
 
 
註:
アレクサンドロス大王(正式にはアレクサンドロス3世)(BC356年ーBC323年)は勇猛果敢な賢人だったと言われている。
幼少時アルキメデスが家庭教師だったと言うのだから凄い。
古代マケドニアの王だった父従って、BC336年アナトリア半島(現在のトルコの一部)を征服すべく出陣し、大勝利をおさめた。父王亡き後も軍隊を率いてアジアを征服しようと東へ東へと快進撃を重ねた。僅か33歳で亡くなっているが、もっと長生きしていたら、アジアの歴史はどうなっていただろうか。