《トルコの休日》  ちょっとブレークして 《みづち》
     【創作オペラ《みづち》前橋公演の合唱に参加しました】 その1
 
8月24日、群馬オペラ協会主催の創作オペラ《みづち》の公演があり、その合唱に参加させていただきました。春以来、練習やら何やらで慌ただしく過ごしてしまいました。結局 《トルコの休日》にまで手と頭が回らなくなり、黙ってお休みしてしまいました。ご免なさい。
この際、《トルコの休日》はちょっとお休みさせていただき、公演参加のご報告をすることにしました。
 
【合唱参加の経緯】
昨2007年晩秋、群馬オペラ協会から、私が所属している混声合唱団「ドリームコーラスまえばし」に、「創作オペラ《みづち》 (脚本:丹治富美子、作曲:白樫英子、指揮:星出豊)の公演が予定されていて、合唱団員を募っている」とのお知らせがありました。同協会主催のオペレッタ《こうもり》の前橋公演(2006年)と渋川公演(2007年)の合唱に参加させていただき、ドラマを作り上げていく過程の楽しさに味を占めた私は、年齢をも顧みず娘と二人で早速参加したい旨を申し込みました。
いつもの合唱団で仲間と声を合わせて歌うのは、楽しくて、ストレス解消、気分転換には何よりです。しかし、オペレッタやオペラはでは、例え名前も役も無いのっぺらぼうみたいな状態で歌っていても、ドラマの一場面の構成に一役買ったり、物語の成り行きの説明を担ったりするのは、普通の合唱曲を歌うのとはまた異なった喜びがあります。
《こうもり》はヨハン・シュトラウスII作曲の超有名なオペレッタで、耳慣れた美しいメロデイが次々にと繰り広げられ、私たちも歌うチャンスのある楽しい作品です。しかし、今回の《みづち》は日本人の作品で、1000年前の水涸れの村の農民たちの話です。《カルメン》とか《蝶々夫人》、《こうもり》などのように有名で華やかなものではありません。芝居の内容も、音楽もすべて「白紙」状態から私は練習させていただいたのです。1000年前の全く未知の世界へタイムスリップしたようなもので、不安を抱きながらも、楽しみでもありました。
 
【合唱練習】
3月23日に、《こうもり》の渋川公演が終わって二週間後の4月6日から練習が始まりました。
合唱はオペラ協会付きの合唱団員の他、私たちのようにアマチュア合唱団の希望者から構成されていました。総勢49名で、約半数以上の方が過去の公演でも歌った方たちで、私を含む初心者は少数派なのでいささか焦りました。交渉の末、私たち初心者は練習前の1時間特訓をしていただきました。週一回とはいえ、合計4時間の練習はちょっときつく、心ならずも練習日の夕飯準備を疎かにしてしまいました(想定外)。合唱指導はオペラ協会のソリストたちが交代で行って下さいました。練習はパート毎に分かれて坐りますが、私は最前列に陣取り、直ぐ後ろには以前出演なさったことのある方に坐っていただき、音のリードをお願いしました。練習はかなりのスピードで進みました。いつものノンビリした我が「ドリームコーラスまえばし」の練習とは異なり、かなりの速度でした。まごまごしていると置いていかれそうで、ある程度おぼえるまでは音符を必死になって追いかけていました。
《こうもり》の場合は、あのヨハンシュトラウスの名曲で、筋書きはもとより、アリアも合唱曲も馴染みのあるメロデイばかりです。すんなりと音取りができ、思っていたより楽に歌えたように思いました。しかし、今回は少しばかり勝手が違いました。3年前に一度舞台を見たことがありますが、合唱もアリアもメロデイなど全く覚えていません。どの部分を聞いても、歌ってもすべて耳新しく、私にとってはまるで「初耳」と言った状態でした。公演が近づくにつれて不安がつのり、楽譜は勤め先まで持っていって、昼休みにこっそり楽譜をひろげて、声を出さずに復習していました。楽譜をひろげる暇が無くてもバッグに入れてある、と言う思いだけでも気持ちが安らぐという状態にもなりました。でも、ある方がPCで練習用CDを作って下さったので、自宅ではそれを愛用しました。合唱だけでなく、「水乞いの踊り」の復習にも利用し、本当に助かりました。
 
【マエストロ】
練習発足後、音取り、音楽稽古を5回した後、「マエストロ(指揮者)」の稽古がスケジュールに入っていました。《みづち》のマエストロも《こうもり》の時と同じく、星出豊先生でした。
「マエストロ」と言えばヨーロッパなどで、楽器や時計、陶器などの制作に最高の技術を有する人を尊敬して呼ぶ、敬称の一種だと思っていました。実を言いますと、一昨年《こうもり》に参加した時、初めて、指揮者のことを「マエストロ」とお呼びするのだと知ったのですが、その意味を詳しく知らないまま過ごしていました。今回初めて調べ、『マエストロMaestroはmasterのイタリア語で、芸術家・専門家に対する称号。特にクラシック音楽の音楽家・指揮者の敬称として用いられる』
書いてあったではありませんか。そもそもはクラッシックの音楽家を敬ってお呼びする言葉だったのです。
「マエストロ」星出先生はそれはそれは熱血漢で、音楽に対する情熱を体中から発散させてらっしゃる方なのです。全身を使って指導し、指揮をしてくださいました。子音の発音から息の吸い込みかた、歌うときの気持ちに至るまで、細かく教えて下さり、素晴らしかったです。今回のオペラは1000年前にさかのぼった時代なので、歌詞は文語長が多く、なるべく謡のような発音をするようにとのご指示があるました。それがまた難しかったです。さすがに主役級のソリストたちのアリアはそのように聞こえていましたが、合唱団の歌い方はあまりそれらしく歌えなかったと思いますが、どのようにお聞きになったのでしょうか。それに、マエストロ星出先生はとてもダンデイな方なのです。《こうもり》の練習の時には「ウインナワルツの歌い方はワルツの踊り方とおなじで、こういう間の取り方で・・・」と言って皆の前でポーズを取ってステップを踏んで見せて下さいました。みなで、呻ってしまいました。前回同様に今回もマエストロの練習の時は気持ちが高揚して、必要以上に張り切ってしまったと反省しています。
 
【暗譜】
そのマエストロの稽古が始まるまでにみんな暗譜をするように言われていたのですが、私には到底無理でした。心の片隅で「やはり年だわ、若い頃はもう少し物覚えがよかったのに」とぼやいて歳のせいにしていました。背に腹は代えられず、通勤にも楽譜を持って行き、朝、仕事を始めるまでと昼休みは真面目に楽譜とにらめっこ。はかでも、歌詞のなかで『美しきふるさと』と、『降らせておくれ、ひしゃく星』と言うくだりが何回も出てきて悩まされました。これらの言葉はこのオペラのキーワードであるのですから当然のことだったのですが・・・。しかし、そのたびに異なった音符が並んでいるので、最後はパニック状態に陥りました。練習の時は楽譜を手放しても、合間には気になるページを開いてみている人を何人か見受け、焦っているのは私だけでは無いようなので、ちょっと安心しました。この際、こっそり言ってしまいますとソリストだって途中で歌詞を忘れていらっしゃる場面を一度ならず目撃してしまいました。勿論、ちょっとばかり気が楽になりました。
 
【あらすじ】     (プログラム掲載の「あらすじ」をもとに)
1000年前のお話し。
黒姫山の麓に段々畑の美しい村がありました。ある年、日照り続きで畑は乾き、井戸も涸れてしまい困った村人は広場に集まり相談。明日新月の夜「水乞いの祭り」を行い、ひしゃく星が天の川から水をくみ上げてくれるよう願うことになりました。
村の青年小太郎は人混みの中に不思議な老人がいることに気付きました。老人は小太郎に、「黒姫山のずっと向こうの沼に住んでいる『みづち』だけが雲を呼び雨を降らせることができる。悪者に捉えられ傷ついた『みづち』を救出し再び雨を降らせて貰らえるようにできるのはお前だけだ」と言いました。
村を救おうと決心した小太郎は、村人たちの水乞いの祭りの中、皆に励まされながら旅立ちました。
小太郎は険しい道を小鳥に導かれながら黒姫山を目指しました。途中、突然、足下をすくわれ深い穴に落ち込みました。ここで山の主(?)黒姫に出会いました。黒姫から、神のような存在である囚われの『みづち』は、吾嬬重藤の加勢とその娘夕月姫の織った水藻の衣でくるめば元気を回復すると教えられました。
小太郎は吾嬬重藤と家来、その娘夕月姫らとともに力を合わせて、あの不思議な老人『みづち』を救出。水藻の衣で包まれ、笹の雫を口にした『みづち』は蘇り、「己の私利私欲のために自然の営みを破壊してはならぬ。この美しい地球を守り、永遠に伝えるように」との言葉を残して姿を消しました。
水に恵まれて、村には平和が、人びとの顔に笑顔が戻りました。
萌葱色けぶる赤城の山よ・・・もみじする錦、榛名染めれば・・・
そこは心豊かな人びとが暮らす美しいふるさと。
命を生み、はぐくみ、次世代へとつなげる、大切なふるさと。
 
                        ーこの章つづくー
 
                 ** ** ** ** 田村多繪子 ** ** ** **