《トルコの休日》  ちょっとブレークして 《みづち》
     【創作オペラ《みづち》前橋公演の合唱に参加しました】 その2
 
【日照り続きで・・・】
第一幕幕開け、だんだん畑の美しい私たちの村は、雨を呼んでくれる不思議な「みづち」が悪者に囚われてしまい、そのために来る日も来る日も雨が降らず、井戸も涸れ、野山の動物たちでさえ里山を捨て出ていってしまったのです。村人はみな青息吐息。村長(むらおさ)は皆に「何かよい知恵は無いものか」と問いかけます。
あれこれと意見は出ますがなかなかよい案は出てきません。現代だったら、どんな方法があったでしょうか。これはかなり難しい問題です。
結局、新月の夜に「水乞いの祭り」をすることに決まりました。
21世紀の今、地球の温暖化とともに「猛暑日」、「ゲリラ豪雨」などという新語ができました。炎天下の作業や運動で命が危険に曝された人もありました。また、氷河が溶けて海水量が増し、水没の怖れの出てきた国(ツバル)もあります。雨が降らず干ばつに見舞われ、某国では国民の30%が飢餓に曝されているとも聞きます。逆に水害で命を落とす人がでたりして、天候異変は古くから見られる現象ですが、環境破壊はある程度人間が作り出した部分もあるのではないでしょうか。1000年前のちょっとした民話ではなく、あすの我が身かも知れません。村人たちの思いは身に詰まされます。
世界中の多くの人びとが自然破壊や地球の温暖化が進行しないように真剣に考え始め、活動が始まったことを考えますと、この公演はまさに時を得た、有意義なものだったのではないでしょうか。ひたすら便利さ・快適さを求めるあまり、価値ある貴重な地球の自然・資源を、まるで空気のように無駄遣いしている現代の生活のあり方を、今一度考え直さなくてはとの思いが、練習の度に浮かんでくるのでした。
 
【役割分担】
ところで私は、このオペラでキャラクターを与えていただきました。名前はありませんが、元むらおさの老妻で、脱水症でよろよろと倒れ込む女になりました。立ち稽古が始まった時に、『登場の時には舞台でへたり込んで下さい』と言われました。多分合唱団の中では一番の老人という点を買われたのだと思っています。勿論、大いに張り切って練習の度によろよろ、ばたんと倒れ込みました(膝に皮下出血を作ったこともありました)。現代なら、さしづめ救急車が呼ばれ「熱中症」とか「脱水症」という診断で輸液をうけたことでしょう。1000年前にはいったいどのような手当をしたのでしょうか。多分村に残っていた貴重なお水を飲ませて貰って元気を取り戻したのに違いありません。お陰で私も、次の「水乞いの祭り」の場面では皆と一緒に元気に踊ることができました。
オペレッタ《こうもり》の時にはきれいな貴婦人の衣装をつけさせていただきましたが、特にキャラクターはなく、何となく舞台装置の一部が合唱しているように感じておりましたから、どちらかというと、協力して一つのオペレッタを作り上げるという意識が欠けていたような気がします。気楽と言えば気楽ですが、ちょっと物足りない感じがしないでもありませんでした。
しかし今回の《みづち》では、合唱団一同少し様子が違いました。合唱団員の中で合唱ソロをした少数の方は役柄の名前がついていましたが、ほとんどの人(児童合唱団14名を含む)は「名無しの権兵衛」でした。でも、それぞれ若夫婦だったり、二人の子持ちの家族、あるいは孫の面倒をみる老夫婦一家という具合に、皆が小さな村の構成員の役をそれぞれ担いました。そのようなシチュエーションの中では、練習が始まる前に役の上の親子同士がハイタッチをして親交をはかっていたり、何やら楽しそうに話をしている場面も見受けられ、それぞれが物語の中に溶け込んでいるような雰囲気でした。オペラを作りあげていく上で一人一人が役割を担っているという連帯感が日ごとに強くなっていったと思います。
 
【「水乞い祭り」の練習】
村人の集まりで開催が決まった新月の夜の「水乞いの祭り」は第一幕のフィナーレです。
小太郎は姉や村人に見送られて不思議な「みづち」を探しに黒姫山を目指します。村人たちはひしゃく星に向かって「天の川から水を汲んで降らせておくれ」と何度も呼びかけます。このくだりでは最後に「来る日も、来る日も雨が無く、降らせておくれひしゃく星!」と最後はフォルテッシモで、心底から願いながら歌いました。
そのあと「水乞いの踊り」へと発展していくのですが、この場の「降らせておくれ・・・」は雨を待ち望む村人たちの熱い思いをそのまま歌ったように思います。私は練習中も、本番もこの場面にさしかかると、いつも「ワー」と気分が高揚して胸の高鳴りを覚え、顔が熱くなりました。この高揚した気分を、「水乞いの歌・踊り」へ持ち込みました。
それにしても、「踊り」をするなんて何十年ぶりのことでしょうか。考えてみますと、小学生の頃お遊戯をしました。大学生時代にソーシャルダンスをしましたが、踊るのはそれ以来のことでした。今回は踊りと合唱が同時進行です。どうしましょう、自信のかけらもありません。
それに踊りの最初の練習日、私は他の用事で欠席。娘が踊りの図付き解説書を作ってくれたので大助かりしました。踊りもそれほど難しい所作は無いのですが、正確に歌いながら踊るのは思ったより難しいでした。手の振りに気を取られるとステップを忘れ、ステップはバッチリだと気を良くしていたら歌詞が思い出せなくなり・・・。最後まで不安を抱えたままでした。しかし、通常の立ち稽古の前に何回か踊りの特訓をしていただきました。踊りに不安を抱いたのは私だけではなかったと見え、踊りの練習には、大半の合唱団員が参加し汗をかきました。
皆で熱心に「水乞いの歌と踊り」の練習を繰り返したためでしょうか、公演の数日前から雨降り続きとなり、ここ前橋だけにとどまらず、日本中のあちこちで大雨となり、水害が出たところもありました。『ゲリラ豪雨』という言葉がテレビで飛び交ったのは丁度この頃でした。公演前日のゲネプロ(リハーサル)の夜も稽古が終わり、さて帰ろうとしたら、もの凄い雷雨で身動きならない状態で暫く足止めをくいました。公演当日も雨降りで、観客の方々にはご不自由をかけてしたようです。
1000年前も小太郎・夕月姫の努力と村人たちが行った「水乞いの歌・踊り」の効果は絶大で、村には雨が降り、乾いた大地は潤い、木々の緑が鮮やかに輝き、美しい平和なふるさとが甦り、めでたしめでたしでした。
 
                        ーこの章 つづくー