《夜の天文台》
 
火星は2年2ヶ月毎に地球に接近している星で、2003年は大接近だったのだが、この時は天文台へ行くチャンスを逸してしまった。
あれから2年、今回最大の接近は10月30日になると聞いていた。今年を逃すと、その後そこそこに近づくのは13年後だと言う。
13年後・・・・・私は何歳になっているのかしら。やはり、今年はどうしても決行しておかなくてはいけない。寒い夜に天文台へ行きたいとは言っても、私は特にアマチュア天文学者でもないし、星に詳しいわけではない、ただ、「ゆっくりお星様が見たい」だけなのだ。幸い娘も同好の士だから好都合なのだ。
 
10月に入ってから、毎週週末の天気予報をチェックし始めた。翌朝寝過ごしても心配のない週末金曜か土曜がねらい所だからだ。私の気持ちとは裏腹に、10月中旬から11月にかけて、週末というと決まって天気予報は雲マークか傘マークがつき、空模様が下り坂になった。まるで意地悪されているような気がする。
そうこうしているうちに大接近10月30日も過ぎてしまった。高山村にある天文台は標高800メートルくらいだが、やはり前橋よりは大分寒い。先へ延ばすにつれて星空はきれいかも知れないが寒気は強くなる。それにお目当ての火星は遠のく一方だし、風邪も心配だ。天気予報に一喜一憂するうちについに「雲マーク」の付かない金曜日が巡ってきた。11月25日のこの夜、決行と決めた。
 
家族は皆仕事からなるべく急いで帰宅し、第一級の防寒着に身を固め、なんとか18時45分に自宅を出発することが出来た。道路状況が良ければ小一時間で到着し、ほぼ一時間は天文台の館内に滞在できると計算した(冬期は21時閉館)。
途中、車の窓から空を見上げる、あらあら、雲が出てきている、こんなはずじゃあなかったのに・・・。関越自動車道を渋川伊香保インターチェンジでおりてしばらく走行すると、今度はフロントグラスに小さな雨粒がつき始めた。想定外の出来事に祈りたい気持ちで空を見上げる。暗い。やはり平野部と山とでは気象条件がちがうのだろう。そうは言ってもここまで来ていながら諦めて引き返すのも口惜しい。山が深くなるにつれて私の心配を吹き消すかのように雨粒が減り、ガラスが乾いてきた、やれやれ。
やがて雲の切れ間から月が見え始めた頃、天文台駐車場に到着した。すでに10台ほど駐車していて、一足先に着いた車からおりた人達がジャンパーの前を合わせ、マフラーを襟元に巻き付けていた。こんなお天気だけどやはり来る人もいるのだわと、少し安心した。
 
外はやはり寒い。手袋、厚手のコート、マフラーなどの防寒着は必需品だ。
寒さ以外に、私にとっての試練はこれからだ。駐車場から天文台入り口までの階段、522段を無事に上れるかどうかが唯一の気がかりである。去年は上れた。あれから一年、私の脚力はまだそれほど衰えていないだろうか。、気にしながら登り始めた。
木製の階段は比較的なだらかでつづれ織りにのぼる。暗がりの中を階段に沿って一列に並んだ足下灯が優しく導いてくれる。中程まで行かないうちに私だけ息が切れはじめ、「はあはあ」という息づかいが自分でも耳障りになる。日常、何の運動もしていないのだから仕方がないと諦める。途中には所々にベンチが置いてあり、休めるようになっているのだが、一度休んだらもう動くのがイヤになりそうなので頑張った。暗いから途中の景色を眺めることもない、とうとう一度も足を止めずに登り切った。ばんざーい、私もまだ捨てたものでもない、良かった、嬉しかった。
 
この時期は「火星キャンペーン」中で150センチの反射式望遠鏡の方で火星が見せてもらえるという。展示室を横切って先ずそちらのドームへ向かった。望遠鏡が設置されているどームは無灯だ。暗がりに目が慣れると、すでに10人ほどの人が望遠鏡の前に並んで覗く順番を待っていた。すかさず私たちも並んだ。数十秒ないし数分ずつ、望遠鏡を覗いては次の人と交代する。皆一様に口数が少なく、興奮した様子もない。火星を見た感想は特にないのかしら、と不思議だった。私の前の方になったとき、説明をしてくれる研究員が「今日は大気の状態が不安定なので、火星の模様などの詳しい観望はあまり良くできないのですよ」とのことだった。なんだ、だからみんな覗いてみてもあんまり感動できないまま次の人と交代していたのだ。順番が回ってきた。よく見えないとは聞いていたものの少しだけ期待をこめて覗いた。接眼レンズの向こうに見えた火星は、模様はおろか輪郭でさえはっきりしない。これなら前橋で肉眼で見ていたのと大差ない。ずっと長い間、SF小説なみの想像力で「火星」を考えていた。具体的にどうこうと言うわけでないが、何か不思議なものでも見られそうな気がしていた私は、とてもがっかりしてしまった。誰に文句を言うわけにもいかず、未練を残しながらもう一方のカセングレン式65センチ望遠鏡のドームへと移動した。
 
ここでもほぼ10人くらいの人が集まっていた。一昨日ちょうど満月を迎えた月の観測中だった。火星の望遠鏡前がしーんとしていたのに較べるとこちらではかなり賑やかだった。空ではまだ雲が流れていたので月も垣間見るような形だった。担当の研究員の方は「慌てなくても雲が格好なスピードで移動しているから、ちょっと待てば見えるようになりますよ」とのアドバイス。私の順番が来たときは月は影も形もない、ぼんやりとした磨りガラスの下方からうっすらと明るい部分があるだけ。ここでも、また駄目なのかしらと直ぐに次の人と交代した。私の二人後の人が「あっ、見えた見えた!」と叫んだ。仲間らしい人が「あら、見せて、見せて。ちょっと替わってよ」と叫ぶ。誰かが「よし月が見えるときは、一人5秒で交代しよう」と提案した。列を作っている人達はは目まぐるしく交代して見詰めた。雲の移動に伴ってそれぞれ一喜一憂している。
「クレーターが見えたよ」
「良いわね、何も見えないよ」
「あっ、月は見えないけど流れ星を見ちゃったわ」
 
ドームの割れ目から肉眼で空を見上げていた研究員が 「はい、はい。次の雲がかかるまで大分間がありますよ。皆さん、慌てずゆっくりみて下さい、クレーターの沢山あるところを出しましょう」とレンズの角度を再調整。
月の周りの雲がすっかり取り払われると、接眼レンズから光の筋が矢のようにもれているのがわかる。私の順番になった、これは3巡目だ、やっと見える。胸をドキドキさせながら望遠鏡を覗く。月光が漏れている接眼レンズに目を近づける。「ウワーッ、眩しいわ。お月様ってこんなに明るいんだったのね!」
太陽に較べると遙かに地味な存在だと思っていた月もすっかり雲が払われてしまうと、こんなにも華やかに輝いているとは・・・。眩しくて”サングラス”ならぬ”ムーングラス”が欲しいくらいだ。
晴れ間に見える月では、大小のクレーターがぼこぼことひしめき合っている。それぞれがきれいに光った冠型をしていて、超高速度撮影をした水滴を連想させた。クレーターとクレーターの間はとても均質で滑らかで、鏡か静かな水面のようにギラギラ輝いて見える。見詰めているとスーッと吸い込まれていきそうな気がした。
ところが、雲がうっすらとかかってくると、月の表情ががらりと変わった。薄い雲のヴェールを通してみた月は一転して幻想的な様相を呈した。月は目映い眩い輝きの中でも、ヴェールに包まれていても、ただただ静寂で髪の毛が一本落ちても響き渡るのではないかと思われた。
 
クレーターの沢山並んでいる側面と少ない側面とそれぞれ見せて貰った。クレーターを見れば見るほど、これはどのようにして出来たのだろう、クレーターって何なのかしら、と不思議になる。天文学のことは何一つ知らない私だが、想像が想像を駆り立てていくいく。
一生懸命探してみたがお餅をついているウサギも見えなかったし、初めて月に降り立った人アームストロングさんの足跡も見つからなかった。
いつまででも覗いていたいがそろそろ次の方に交代しなくてはならない。そうこうするうちに閉館のチャイムが聞こえてきた。