「異本病草紙」考−その1

高崎医師会 服部 瑛
       国立京都病院 荻野篤彦

1.はじめに

 平成10年の夏、群馬県立歴史博物館に勤
務している私の高校の後輩である唐沢至朗氏
から、平安時代の「異本病草紙」という珍し
い絵巻物を入手したので、皮膚科的な観点を
含めて調べて欲しい旨の要請があった。私は
以前より医学史に多少興味があったこともあ
り、その作業を躊躇なく引き受けた。しかし
ながら、私一人では詞書を欠くその絵巻物か
ら得られる情報には限界があるため、ある機
会に国立京都病院皮膚科医長、荻野篤彦先生
にその資料をお送りさせていただいた。荻野
先生は、早速にこの「異本病草紙」の疾病に
ついて皮膚科の立場から医学的解釈を試みて
、その原稿を送っていただいた。さらに医学
史にお詳しい長門谷洋治先生(豊中市)をご
紹介してくださるとともに、泌尿器科の専門
家で医学史にお詳しい友吉唯夫先生(滋賀医
大前泌尿器科教授・現豊郷病院院長)にも相
談されて、貴重なご意見も加えていただいた

 私は、荻野先生の解釈を貴重な資料として
参考にし、今回見つかった絵巻物と長門谷先
生より送っていただいた従来より知られてい
る「異本病草紙」との差異を調べる試みを行
った。また、京都に赴き、京都国立博物館・
資料調査研究室長の若杉準治先生にお会いし
、「異本病草紙」に関するご意見を伺った。
 「異本病草紙」は、詞書を欠くことが最も
大きな特徴と思われるが、調べ得た限りでは
、現在までその疾病に関してなんら医学的な
検討がなされていないようである。
 そこで今回、「異本病草紙」における医学
的解釈を荻野先生の試案を基にして検討を加
える作業を行った。
 これから述べることは、医学史との付き合
いの浅い皮膚科医の推測の域にとどまること
ばかりであり、医学史を正統に研究されてい
る方から誤りを指摘されることが多々あると
思われる。しかし、平安時代末期から鎌倉時
代初期の疾病やその治療を理解するうえにお
いて、「異本病草紙」の医学的解釈を行う試
みは、現代医学においても十分意義あること
であると確信している。
 これらの作業は現在あくまでも過程中であ
り、今後多くの先達や専門家のご意見をお伺
いしながら、少しずつ実りあるものにしてい
きたいと願っている。
 以下、今回の作業の一端をのべさせていた
だく。

2.「病草紙」と「異本病草紙」について

 一般には「病草紙」というと「関戸家本」
と通称されている12世紀後半の絵巻物をさ
している。疾病をテ−マとした絵巻物として
特異な位置にあるとされている。現在21図
が確認され、17図が関戸家に、他は諸家に
分藏されている。
 それに対して、「関戸家本」系とは重複し
ないモチ−フを扱い、詞書のない「異本病草
紙」が伝わっている。この系統に属するもの
として、知られているだけでも四種類がある
。この中では、狩野探幽の模写が最も有名で
、鮮やかに着色してあって美術的にも価値が
あるため重要文化財に指定されている京都
国立博物館蔵・(京博本)。その他、狩野晴川
の模写本である東京国立博物館蔵本(東博本
)、大鳥蘭三郎氏所蔵の鷹巣英峰の模写本(
大鳥本)などがある。
 今回の絵巻物も、「異本病草紙」そのもの
であり、錦小路家本と称されている。なお、
錦小路家が医官であったことが知られており
、このことはこの絵巻物を検討する際に重要
な手掛かりになると思われる。
 頭書(図1)および奥書(図2)によると
、絵巻物は土佐派の光貞筆写本を安永四
年(1775年)に中納言某が岩城宗三に命
じて写し取らせた写本であり、それが錦小路
家に伝えられたものとされる。今回の絵巻物
は、その錦小路家本からの直接写本であると
考えられている。


                                図1のコピー  

 江戸時代後期の天保六年(1835年)に
最終筆写されたものである。絵巻物の紙幅は
27.8cm、紙長、1,024.3cmで
あり、材質は紙本墨書である。着色はされて
いないが、原本の色がメモ状に記入されてい
る点が興味深い。巻頭、巻末さらに帯の部分
に「豊栄日軒」の蔵書朱印が認められる(図
3)。こうした帯の部分の蔵書朱印は珍しい
ようである。
 錦小路家写本の「異本病草紙」に関しては
、唐沢氏と私は、便宜上36図からなる疾病
とそれに類する絵図が描がかれていると解釈
した。しかしながら、荻野先生はそれに若干
の異論を唱えられている。いずれが正しいか
は、これからの検討事項である。
 次回から数回にわたってこの絵巻物の絵図
とそれぞれの荻野先生と私の合作による医学
的解釈を紹介させていただくこととする。
 願わくは、次回からのこの絵巻物の絵図と
医学的解釈を読まれて、私たちに欠けている
あるいは付け加えるべきご意見や資料がある
ならば、是非ご連絡いただけることを切望す
るところである。そしてそれらの貴重なご意
見を参考にしながら、より客観的な「異本病
草紙」の医学的解釈に挑戦したいと思ってい
る。



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