「異本病草紙」考−その11
高崎市医師会 服部 瑛
群馬県医師会報に異本病草紙に関する医学的解釈を、「異本病草紙」考−その1から
10までに纏めた。その後、それらを加筆・訂正して「医家芸術」(平成12年11月文
芸特集号)という雑誌に掲載した1)。この珍しい絵巻物を世に知らしめるという目的もあ
るけれども、私たちが行った医学的解釈に忌憚のないご意見を求めたいと思ったからであ
る。幸運にも新しい見解が出たならば随時この欄で報告していきたい。
今回は今まで述べていないことなどを補遺として書き綴ってみたい。
1)「異本病草紙」考−補遺
現在「異本病草紙」の写本は10本以上の存在が確認されているという2)。以前にも記
載したが、その中で京都国立博物館蔵の狩野探幽作のものが、もっとも原本に近いとされ
る(京博本)。これはその絵図は京都国立博物館刊行の「探幽縮図 上巻」3)でその詳細を知る
ことができる。その他では狩野晴川の模写本である東京国立博物館蔵のものが有名である
(東博本)。奥書による由来がはっきりしており、狩野晴川がこれを模写したのは文政4
年(1821)3月4日であったという4)。着色されていない大鳥蘭三郎氏所蔵の鷹巣英
峰の写本(大鳥本)も代表的な作品であり、これら3絵巻物は『図録 日本医事文化史料
集成』4)に収められている。そこで今回それら3本の「異本病草紙」と
錦小路家本の絵図の順序を調べてみた(表)。絵図の数では京博本の狩野探幽作のものが
最も多く38段(酒井シズ先生は39段と指摘している4)が、私たちの見解では19段と
20段を合わせて「霍乱状態の老人が天からの凶事を恐れる様」として一図としたので一
段少なくなっている)。東博本は14段、大鳥本は35段(36段4))、そして錦小路家
本も35段(36段4))となる。おのおのの絵図の順序は表のように全くばらばらで一致
することはない。表下方に記載したように京博本の絵図が錦小路家本に比べて3絵図多い
ことが分かる。また大鳥本と錦小路家本は同じ絵図数であるが、大鳥本では「陰門部を棒
でついている女」が欠けており、錦小路家本では大鳥本や京博本にある絵図一枚を欠いて
いるため偶然に同じ絵図数となっている。
この絵図数と順序の違いは、全く脈絡がなく不思議なことというしかない。原本が異な
るということは当然推定されようが、それにしてもその順序は違い過ぎる。おそらくその昔多
くの異本病草紙の模本があり、絵師たちはそれぞれに興味深い絵から描いたのではないだ
ろうかと推察するしかない。
なお異本病草紙は、有名な「信貴山縁起絵巻」などのように長大な画面に絵が連続して
描かれている連続式絵巻4)があるが、それらとは明らかに異なっていることも大きな特徴で
あるといえよう。
文献
1)異本病草紙考, 服部 瑛 医家芸術,44:72,2000
2)異本病草紙に就いて, 林 美朗,野嵜 理,日本医史学雑誌,45:174,1999
3)探幽縮図 上巻, 京都国立博物館, 同朋社出版, 昭和55年3月29日
4)図録 日本医事文化史料集成 第1巻,竹村 一,三一書房,1978年3月31日
5)十二世紀のアニメーション,高畑勲,徳間書店,10頁,平成11年3月31日
表 異本病草紙4本の絵図の順序
錦小路本 | 京博本 | 東博本 | 大鳥本 | |
1 | 男の死屍をかじる狂女 | (1) | (14) | (30) |
2 | 怒って暴れて仕事を邪魔する男 | (21) | 欠 | (11) |
3 | 車に乗せられた足萎の男 | (29) | 欠 | (24) |
4 | 庭先に放置された黒い身体の死体 | (22) | (7) | (21) |
5 | 嘔吐する男 | (28) | 欠 | (22) |
6 | 痩せこけた病人 | (13) | 欠 | (13) |
7 | 腹部が異様に膨満した女 | (4) | (12) | (15) |
8 | 排尿する女 | (3) | (4) | (16) |
9 | 子供を行水させている女達と老婆 | (37) | 欠 | (18) |
10 | 病気の男の腹部を揉む女 | (7) | 欠 | (19) |
11 | 眼を洗ってもらっている男 | (6) | (11) | (7) |
12 | 顔面に大きなこぶを生じた女 | (15) | (8) | (20) |
13 | 両手をついて歩く男 | (24) | (6) | (25) |
14 | 下痢をする女 | (18) | 欠 | (27) |
15 | 疫病よけの文字を書いてもらう女 | (25) | 欠 | (8) |
16 | 巨大な男根を見せて踊る男 | (2) | 欠 | (23) |
17 | 囲炉裏に落ちて大ヤケドをする男 | (16) | 欠 | (6) |
18 | 精神異常を来した男性 | (23) | 欠 | (1) |
19 | 霍乱状態の老人が天からの凶事を恐れる様 | (17) | 欠 | (3) |
20 | 発疹症にかかった男 | (5) | 欠 | (10) |
21 | 病気で臥せている女 | (13) | (5) | (13) |
22 | 重症水痘にかかった女と看病する家人 | (12) | 欠 | (12) |
23 | 熱があって臥せている女 | (11) | 欠 | (29) |
24 | 背中に瘤のある女 | (30) | (1) | (4) |
25 | 麻疹にかかった幼児を看病する女達 | (31) | 欠 | (9) |
26 | 老女より「おまじない」をうける幼児 | (20) | (3) | (5) |
27 | 背部に灸(やいと)を受ける女 | (14) | (2) | (14) |
28 | 腹部の腸瘻から便が漏れ出る痩せた老人 | (34) | (13) | (31) |
29 | 大食らいする男 | (27) | 欠 | (17) |
30 | 象皮病で両下肢が腫張した女 | (26) | (10) | (33) |
31 | 顔面に巨大な「こぶ」をもつ女 | (33) | (9) | (32) |
32 | 陰門部を棒でついている女 | (19) | 欠 | 欠 |
33 | 陰嚢が腫大した男 | (9) | 欠 | (26) |
34 | 陰茎を切断してみせようとしている男 | (8) | 欠 | (28) |
35 | 陰嚢が発赤し腫大した男 | (10) | 欠 | (25) |
錦小路にはない 絵 3枚(32枚目、 35枚目 36枚目) |
錦小路にはない 絵 1枚(28枚目、 京博本はある) |