「異本病草紙」考−その12

        高崎市医師会 服部 瑛


 前回は錦小路家本を含めた異本病草紙4本の絵図数と順序の違いを述べた。

 今回はこの4本の異本病草紙の大きな相違点を調べることを試みた(表1)。この中で
、図4の庭先に放置された黒い身体の死体が大鳥本では何故か欠いている。また、錦小路
家本では23図左下方の襖の左横に座っている老女の前の発疹を認める女が描かれていな
い。

 最も特徴的な差異は陰部の描写に関してであろう。京博本および錦小路家本は克明に陰
部が描写されているが、東博本では布などで巧みに陰部が覆われている。一方大鳥本では
男女ともにその部分が省略されて、女性の場合「へ・アリ」(ヘソアリとも読める絵図も
ある)、男性の場合「スンハリ」などという意味不明な表示が認められるのみである。
(これらに関しては後述されるので、今回は紙面の都合でそれら絵図などを省略させてい
ただく)。

 さらに表2は,それぞれの絵巻物の色の相違点を比べたものである。大鳥本と錦小路家
本は先にも述べたように着色されていない。しかし色の指定は絵図の各箇所で具体的に記
載されている。そうした点を考慮して、着色されている京博本と東博本などとを比べてみ
ると、京博本と大鳥本とは比較的共通した色系統が多い。それに対して錦小路家本はそれ
らと一部似た絵図もあるが、全く異なるものもある。

 一方東博本は特異な位置を占めているように思われる。それは色彩が京博本と比べてあ
きらかに鮮やかな点にある。赤や緑、黒および白などの色彩が鮮明に描かれている。

 以上のことから、これら4本の絵巻物は同一の原本を模写したものではなく、その当時
いくつか(多く?)存在した模本をそれぞれ別個に模写したことが確実であるように考え
られる。筆致などを含めた美術的な観点の評価は私にはできない(錦小路家本の実際の絵
巻物は、コピ−では窺い知れない微妙な部分にまできわめて巧みな筆致を見ることができ
る)。しかし多くの模本はその当時絵巻物を書くことを生業とした土佐派や住吉派などの
専門絵師たちの作品なのであろう1)。そうした絵師は主に僧侶や宮廷人であったという2)
。おそらくかなりの教養と実技を持った人たちの集団だったと推定される。

 熟達した高名な狩野探幽はもちろんであるが、そうでない弟子たちなどの絵も残されて
いた可能性を考えなければならない。しかしながら、筆致の多少の差異はあるけれどもそ
れぞれの絵師たちはきわめて忠実に模写していることがよく分かる。

 この当時絵巻物を模写するということは絵師という専門家に任された重大な仕事であっ
たのであろう。後白河法皇は当時のあらゆる分野の絵巻物を作らせたと、若杉準治先生(
京都国立博物館)よりお聞きした。天皇が関与した仕事であるならば想像を絶する重大な
ことであったと推察される。

 平安時代における病気やそれを取り巻く環境は、現在と同じように多くの人達にはとて
も大切なことであったはずである。それらのことは絵巻物の重要な題材になる必然性が存
在している。錦小路家は医官であったのでなおさらのことこの絵巻物を大切に、そして重
要視したに違いない。

         文献

1)絵巻物に描かれた日本の医療, 樋口誠太郎,日本医師学雑誌,20:151,1974
2)十二世紀のアニメ−ション, 高畑勲, 徳間書店, 平成11年3月


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