「異本病草紙」考−その2

      高崎市医師会  服部 瑛
      国立京都病院  荻野篤彦

3.「異本病草紙」の医学的解釈

 現在私は、錦小路家写本の「異本病草紙」
は36図の疾病そしてそれに関する絵図が描
かれていると考えている。前回述べたように
荻野篤彦先生(国立京都病院)は精力的にこ
の「異本病草紙」を検討され、その疾病等に
関して貴重な医学的解釈を試みて下さった。
今回それら荻野篤彦先生による医学的解釈を
参考にし、さらに若杉準治先生(京都国立博
物館)・唐澤至朗氏(群馬県立歴史博物館)
らの当時の風俗や歴史的背景に関するご意見
を加え、私たちの解釈を列記させていただく
ことにする。従って、この文責はすべて私た
ちが負うことになる。
 重ねて明記しておくが、これらはあくまで
も私たちの解釈である。今後多くの新たな情
報が得られるならば、より充実した内容にな
っていくものと思われるし、またそうなるこ
とを願っている。
 以下、錦小路家写本「異本病草紙」の絵巻
物の順序に従って、私達が試みた医学的解釈
を述べる。

1)男の死屍をかじる狂女(図1)



 筵を掛けられた屋外にある裸の男にかぶり
つく狂った女の絵である。かぶりついたため
か、筵が下半身に移動している。男は裸であ
るが、目はしっかりと見開かれ、苦痛の表情
を呈しているようにも見え、死んでいるよう
にはみえない。しかし他の模本を見ると、男
の目は閉じられ、死人として描かれている。
やはり男の死屍をかじる狂女とするほうが理
解しやすいと思われる。
 平安末期の乱世では、飢饉が発生し、飢え
と病いに命尽きた多くの死骸が道端に散乱し
ていたようであり、この絵図に見られるよう
な異常な状況は各地で普通に見られたのであ
ろう。平安末期では、このような恐ろしい光
景が、日常茶飯事の出来事として街の路上で
繰り広げられていたのであろうか。
 左のニキビ面で鼻瘤の男は、烏帽子もかぶ
らず日本人ばなれした容貌であり、北方系の
外国人のようにも見える。子供が指さして、
囃したてている様子が見てとれる。
 この「異本病草紙」では、この絵図のよう
に病人などの主人公を取り巻く人達が表情豊
かにまた子細に描かれており、一つの重要な
特徴である。


2)怒って暴れて仕事を邪魔する男(図2)



 中央の男がなぜ怒っているかは定かではな
い。恐らく、家を壊され、立ち退きを命じら
れているのであろう。そのため、怒って暴れ
そして興奮した男が、二人の男に押さえつけ
られていると思われる。一見、酔っぱらって
いるようにも見える。
 中央左の一人の男が仕事を邪魔されたため
か、怒った男を威嚇し、その男を一人の女が
押し止めようとしている。
 怒って暴れている男は、その風体から在家
出家者と思われる。この時代の僧侶は外出す
る際、下駄を履いたという。その下駄の一つ
が前方に認められる。
 編笠をかぶった女性が逃げるようにしてい
るが、僧侶の女房であろうか。複雑な状況を
連想させる絵図である。
 なお、荷車に乗せられた壊された家の木々
は、再利用のためどこかに運ばれていくので
あろう。

3)車に乗せられた足萎の男(図3)



 老いた僧侶が小さい荷車に乗せられて運ば
れている。顔の表情からかなり衰弱している
ようでもある。前かがみになって荷車に両手
を置き、体を支えている。四人の子供が一生
懸命荷車を引っ張っている。この荷車は、こ
の僧侶専用のものと思われる。
 当時、病人が死にかかると、その死屍の魂
が家につくことを恐れて、住居から出して付
近の庵のようなところへ移す習慣があったと
の記載がみられる。これも重い病気に罹った
僧侶をどこかに隔離するために荷車で運んで
いるのかもしれない。
 しかし、まわりの人達の表情は、決して悲
しんでいるようには見えず、むしろ興味深げ
である。僧侶というその当時特別な階層にあ
る者が荷車で運ばれていることから推察する
と、仏教的な因果によって不具となった我が
身を自ら見せしめのために引き回していると
も考えられる(唐澤至朗氏の推測)。
 一方、歩行が困難な障害者は足萎(あしな
え)と呼ばれ、呪術者として畏敬されたとも
云われる。しかし反対に、旅立ちにあたって
足萎に遇うと不吉なことだと忌み嫌われたと
いう記載もある。


4)庭先に放置された黒い身体の死体(図4) 



家の庭先で倒れている黒い裸の死人を見
て驚いて逃げる二人の女達が描かれている。
あくまでも推察であるが、死体の前方で踊っ
ているように見える男が、どこからかこの死
体を運んで庭先に置いたのではないだろうか
。上半身裸であり、焦点のない顔つきなどか
ら、狂った男と思われる。
 死体の皮膚全体が黒く描かれているが、こ
れは死後変化を示しているのであろう。腹部
は膨らんで、誇腹状態にある。
 この当時、一般庶民の間では、死体が粗末
に扱われていたようである。

5)嘔吐する男(図5)



 高杯の上にあるお椀にたっぷりと飯が盛ら
れており、おかずの数も多く、調度も立派で
ある。相当に裕福な階級の人達の食事風景で
あると思われる。特別な晴れの日であったの
かもしれない。
 左の一人の男が嘔吐をしている。なにか消
化器系の病気があって吐いているのであろう
か。あるいは、食あたりであろうか。困った
表情で右手を頭に挙げて走り寄ってくる男が
重要なヒントになるのかもしれない。当時、
このような急性胃腸炎および食中毒を霍乱
(かくらん)と呼んだようである。
 この時代、現在と違いお箸を御飯に立てる
習慣があったことが窺われる。また、畳は、
床の上に部分的に敷かれていたことが分かる


註記:前回、関戸家本「病草紙」は21図が
 確認され、17図が関戸家に、他は諸家に
 分蔵されていると記載した(群馬県医師会
 報,608:55,1999)。しかしその後の調査で
 は、20図が一連とのことであり、それら
 の多くは京都国立博物館に所蔵されている
 ことが判明した。この点に関しては、なお
 若干不明な部分があるので、さらに調査し
 ていずれその正確な情報を報告したい。訂
 正し、お詫びさせていただく。