平安時代の入浴について

異本病草紙考−その23

異本病草紙の中の一絵図である(図1上)。「子供を行水させている女達と老婆」と題して述べた1)。「女達と子供が集団で行水をしている様子が描かれている。当時、行水は健康管理に重要であったのであろう。おそらく、市井庶民のごく当たり前の日常生活が描かれているものと思われる」、と記した。現代の入浴習慣から考えると、疑問もなく、ごく当たり前の生活の一部だと推定した錯覚であった。

 その後入浴習慣や洗浄剤に関して調べていくうちに2−4)、この絵図は当時としてはめずらしい入浴形態だと知るに及んだ。

 病(やまい)こうこうとさえいわれる現代日本人の入浴嗜好性は、かならずしも古代から連綿と続く単調な民族的習性などによるものではないと、松平氏は述べている5)。それは、宗教性に裏打ちされ風土に合わせて古来から続いてきた蒸風呂から湯浴みへの転換をはかった近世の銭湯、そしてそれを大衆化・日常化しながら、温泉の醍醐味を都市のなかで実現していった近代銭湯、さらにそれを家庭内にもちこんだ(あるいはそれによって変質させた)現代内湯、こうした日本人の入浴習慣には、長い生活文化の歴史が融合しているのである5)

 異本病草紙にみられる古い時代の入浴法とは基本的には“蒸風呂”だった。現在各地に寺院を中心にしてなお蒸風呂がたくさん残されている。写真は妙心寺(京都)のものである。簀子板敷の隙間から蒸気を出し(図2)、正面に出入口と調節窓があり(図3)、他の三方は板壁で閉ざされている。

明智光秀が京都を離れるときに自分の運命を感じたのか、叔父の密宗和尚にお金を渡したことからこの浴室が建てられたといわれ、その後「明智風呂」という名が付けられた。この蒸風呂には浴衣を着て入り、線香1本分の数分間が一人の入浴時間で、その間に茶碗に3杯のお湯が渡されたらしい。昭和のはじめまで実際にこの蒸風呂は使用されていたという6)

武田氏7)は、風呂と湯の区別を明快に述べている。「風呂」といえば、今述べた蒸風呂の略称で、釜に湯を沸かし、その蒸気すなわち湯気を密閉の浴室内に送り込むもので、これには浴室の横の釜舎(かまや)で沸かし、釜蓋が木桶のようになって湯気を浴室内に送るものと、浴室のスノコの下に湯釜が設けられて、湯気がこのスノコを通じて上に送られるものとに大別される。妙心寺の蒸風呂は後者と考えられる。「湯」というのは洗湯とも書き、今日の一般家庭や公衆浴場(町湯、銭湯)と同じものである7)

 絵図のそれは、蒸風呂ではない。平安時代すでに蒸風呂ではなく湯を使うことを示しためずらしい湯浴みであると考えられる。具体的には汲み上げた湯で洗う「取り湯」5)なのであろう。関西に比して、早くから関東ではこうした入浴方法が日常的だったと記載されている5)が、一般庶民にとって蒸風呂よりもこうした湯浴み(取り湯)のような形態の方がより簡便で、合理的だったはずである。さらに、絵図にみられる釜や、スノコ、桶などの配置をみると8)、後の銭湯を彷彿させる。そうした常設の入浴場所だからこそ、嬉々として男達が覗いているのであろう。

貴重な絵図である。初期には仏教の教えのなかから蒸風呂が実践されたが、一般庶民の生活のなかからは、随分以前から絵図のような簡便な入浴形態があったのだと考えざるをえない。仏教は入浴を奨励したが、この教えの根幹が“体を清める”という行為をさまざまな形で合理化していったものと思われる。

 なぜこの絵図が異本病草紙に存在するか興味深い。さまざまな病を題材とした絵巻物であるこの異本病草紙にはそぐわない。

病気にならないように「老女よりおまじないをうける幼児」(図1下)もある9)ことから、「入浴の絵図」は病気にならないための一つの有用な手段だったのかもしれない。

異本病草紙の湯浴みの絵図は現代から考えるとごくありふれた日常行為に思われる。しかし、蒸風呂に対してこうした入浴方法もあったことを後生に残す目的もあったように考えられてならない。

異本病草紙とほぼ同時代に描かれた病草紙は、「地獄草紙」や「餓鬼草紙」などと共に「六道絵」の「人道絵」に相当するものであろうと佐野氏は述べている10)。しかし、異本病草紙においては、この意見にはにわかに賛同できない思いがある。この入浴の絵図をみると六道思想とは異なる、あくまでもさまざまな病気や生活習慣などの“日常世界”を描いたのではないかと連想してしまう。そして、この湯浴みの絵図は、「六道思想」とする意見を再検討させる一つの題材とも思われる。

この絵巻物にはさまざまな病気を描いたものから、その当時の治療までも見つけることができることを述べたが、その中で「入浴の図」は当時の「予防医学」と考えられるかもしれな。丈夫に生きるように子供へおまじないを書いている絵図とともに、その方法は現在から考えると稚拙ではあるが、当時を生き抜いていくためのさまざまな情報・現実を平安時代の人たちは見聞し、体験したにちがいない。その背景には、もちろん仏教思想が重要であるが、遠い昔にも「予防医学」が存在しえた貴重な絵図だと考えたい。

註釈:「六道」とは、仏教用語で衆生が善悪の業によっておもむき住む六つの迷界。すなわち、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天。(広辞苑より)

文献

1)                  服部 瑛・荻野篤彦,群馬県医師会報,611:831999

2)                  服部 瑛・田村多繪子.皮膚病診療,26:4642004

3)                  服部 瑛,日経メディカル,446872005

4)                  服部 瑛ほか,皮膚病診療,26:9072005

5)                  松平誠,入浴の解体新書,小学館,東京,

1997

6)                  http://www.don.am/~shigeru/

sentouarakarutohyousi.htm

7)武田勝蔵,風呂と湯の話,塙新書,塙書房,東京,1996

8)笹間良彦,資料日本歴史図録,柏書房,

東京,1996

9)服部 瑛・荻野篤彦,群馬県医師会報,616:391999

10)佐野みどり,図録日本医事文化史料集成,

1巻、日本医史学会編,三一書房,

東京、1978,p285