入浴再考

 昨年春、低刺激石鹸のアンケート調査を主な20社を選定して行い、
すべての会社から回答を得ることができた。その結果、現在行われて
いる低刺激化技術の実態を知った。おおむね5つほどのコンセプトが
あり、各社はさまざまな工夫を凝らしていることがよくわかった。その
詳細は日本皮膚科学会東部支部学術大会(2003年10月、旭川市)
などで報告させていただいた。

 そもそもなぜ低刺激石鹸なのかという視点の背景には、日本人の
入浴のし過ぎ、洗い過ぎにその原因があるように思われてならない。
そう思って調べてみると、宮地良樹教授(京大)1)は、昔から踏襲され
ている日本人的な入浴方法を勧めておられる。西岡 清教授(東京医
歯大)1)は、石鹸の手洗いは濃い石鹸が直接皮膚につくので望ましく
ないと戒めておられる。相場節也教授(東北大)は、ある講演のなかで
シャワー浴は好ましくないとのお話であった。私は、洗ってからの入浴を
薦めているし、夏季はシャワーの方が合理的だと思っている。よく泡立て
れば手だけでよいのではないかとも思っている。つまるところさまざまな
意見が錯綜していると思うのだが、皮膚科医は入浴に関してのコンセン
サスをまだ得てはいないのではないだろうかと、ふと疑問に思った。

 汗をかくから湯船に漬かるというもっともらしい理由は、夏期では
入浴後にそれ以上の汗をかくことから私は疑問に思っている。実際
友人のイギリス人は、日本人の夏期の入浴習慣に疑問の言葉を発した。
なぜ暑いのに入浴するのかと。冬暖まるから入浴するという理由も、
洗髪後の手入れなどで湯冷めの原因となり根拠に乏しい。要は入浴に
リラックス感を求め、日本人特有の潔癖性からの習慣になっているように
思えてならない。決してそのことを否定するものではないが…。

 いままで、私の家に数名の外国人(ドイツ、オーストラリア、ポーランド
ほか)がホームステイしたが、入浴の用意をしても誰一人入らなかった。
全員わずか数分のシャワーを浴びるだけだった。海に連れていった二人の
ドイツ女性は、疲れたためか帰ってすぐに寝て、翌朝数分のシャワーを
浴びていた。外国映画で時に見る石鹸の泡だらけの入浴は、泡をその
ままにしてその泡を洗い流すことはないらしい。こうした行為は、日本人
の現在の感性からは到底理解できないに違いない。といって日本人の入
浴習慣が正しいとも限らない。

 卑近な例を示せば、私の小学生の頃、入浴は貴重だった。冬期では
3日に一度くらいだったように記憶している。夏期は行水が主だった。
風呂当番だったから、私の記憶は鮮明である。その程度の入浴でも
不都合は全くなかったように思う。

 いつのまにか毎日入浴する習慣がついて、その結果乾燥肌の人が
増えているのではないだろうか。習慣とは恐ろしいもので、私と同年代
以上の人でも、昔から毎日入浴していたと錯覚している。そうした人たちは
子供たちに毎日入浴させ、一生懸命洗うことを強要している。いつのまにか
毎日入浴しなければならないという“癖”がついてしまう。それではこれから
の国際社会に適応できないのではないかとつい心配になってしまう。

 先日、栗原誠一先生(湘南皮膚科)にそのことをお話した。栗原先生は、
低刺激石鹸のコンセプトに疑問を持ちながらも、日本人の入浴のし過ぎや
洗い過ぎには、私と同じように皮膚科医としての正しい意見・視点を持つ
べきだとのご意見であった。「皮膚病診療」では、何度でも討論する場を
設けたいともおっしゃった。大賛成である。

 東京2)、沖縄3)、そして群馬4,5)では、その入浴習慣は異なることが
わかっている。そうしたなかでも、皮膚科医は正しい入浴の仕方、石鹸の
使用法などを、患者さんに具体的に指導するべきではないだろうか。
もちろんcase by case であることには異論はないが、最低限のルールを
提示すべきだと思っている。

 そうした話題の場としては、「皮膚病診療」は打ってつけの雑誌だと
思われる。「皮膚病診療」の試みに期待したい。


文献

1)宮地良樹,西岡清,暮しと健康,9月号40 頁,1999
2)西岡清,荒井美奈,皮膚病診療,19:1137, 1997
3)萩原啓介,野中薫雄,皮膚病診療,21:350, 1999
4)服部瑛,田村多繪子,皮膚病診療,21:360, 1999
5)服部瑛,田村多繪子,皮膚病診療,22:80, 2000

高崎市 服部 瑛