癢痾(やうあ)

 古典に通じている患者さんK氏が、先日“癢痾”という言葉を示して、“癢痾”が私の
病気なのですね、と言われた。難しい言葉なので、よく分からない。そうですねと答えて
、機会があったら原典を教えていただけますかとお願いしたところ、数日後わざわざ原典
を持ってこられた。大胡町という随分遠くに住んでおられる方である。年齢も70歳を優
に越えていらっしゃる。その博学と勉強熱心さには、いつもただただ感心させらている大
先達のお一人である。
 氏は、その言葉を安岡正篤著の『光明藏』1)の中で見つけられ、『古文真宝』2)でその
原典を確かめておられた。「呂與叔」の「克己銘」の中の一節である。参考のためにここ
に記す。

 亦 に之に克たば、皇皇として四達す。洞然たる八荒、皆吾が闥に在り。孰か日はん、
天下吾が仁に歸せずと。癢痾疾痛、舉吾が身に切なり。一日焉に至れば、吾が事に非ざる
莫し。顔何人ぞや、之を へば則ち是なり。


通釈 またやがてこの私欲に打ち勝ったならば、心は広く大きくて四方に通じ、さえぎる
ものもなく見通される、八方の遠い辺境の果ての国々も、わが家の小門の中にあるように
思われる。このように天下がすべて一家中にあるというような、いわゆる八紘一宇の気持
になれば、天下が自分の人間愛の道に従わないと誰がいうであろうか。必ずやわが仁愛の
道徳をしたって来るであろう。このような一視同仁の境地では、人の身のかゆさ、痛さも
、みなわが身に直接に感じるのである。一旦この仁愛の境地に至るならば、もう自分の力
でできない仕事はない。「舜何人ぞや。」といった顔回は何者であろう。かれに及ぼうと
のぞむならば、自分も顔回のようになれるのである。

 ここに出てくる“癢痾”(下線)という言葉は難しい。注釈では「癢」はかゆいこと「
痾」は病気とあった。おそらくさまざまな皮膚疾患などから生ずる 痒症をさすのであろ
う。これを知ったからといって皮膚科医にとってはあまり意味はない。ただ言えることは
大昔から痒みは多くの人たちを悩ませていたことがよくわかる。毎日苦しい思いを感じな
がら生きていたのであろう。

 今、痒みの治療として適切な保湿剤や治療薬が存在することは当時の人々にとっては想
像を絶することだったにちがいない。それ以上に感心することは、苦しい思いの中で、他
人を思いやる気持ちを持ちなさいとする姿勢に思わず得心がいった。
 
 6月号の「皮膚科医の皮膚病」で「患者さんの立場とは?」3)を書いたが、もう少し早
く知っていたら、生意気にもこの言葉を使えたのに・・・・・ 。
 
 K氏の恩義に報いるために、この“癢痾”という言葉を紹介させていただいた。日常診
療での楽しい一コマでもある。



 文献

1)安岡正篤:光明藏,金 學院,東京,16頁,昭和16年1月
2)星川清孝:古文真宝,明治書院,東京,243頁,昭和56年10月
3)服部 瑛:皮膚病診療,25:678,2003

  (高崎市 服部 瑛)

(皮膚病診療、9月号、平成15年)