ベルリンへ ーその2ー

                  高崎医師会 服部 瑛

  ベルリンは、パリと並ぶヨーロッパにおける大都会。昨夕、その姿を垣間見たが、今日から2日間、F夫人の案内で本格的な探索が始まる。ワクワクする。

 12月29日(日)7時起床。窓外は激しい雨。まだ真っ暗だ。しかしこれは珍しいことではなさそうだ。ヨーロッパの冬は天候に恵まれず、日の出は遅い。ベルリンでは午前9時頃にならないと明るくならないらしい。 朝食はバイキング。様々な料理が並び、日本食さえ揃っている。だが、こうした場合、現地の食事がおおむね美味しい。日本食を選んだ家内は不満を漏らしていた。

 9時、ホテルを出立。雨は止んで、幾分晴れてきた。駅まではバスに乗り、DB(Deutshe Bahn,ドイツの普通列車)に乗り換える。昨日購入したフリーパスはきわめて有用!ちなみにドイツでは、鉄道も地下鉄も改札口といった野暮なものはない。大きな荷物があると、その便利さがよく分かる。これは無賃乗車を可能にするが、検問で見つかると30ユーロの罰金を課せられる。

 冬のベルリンの街並みを眺めながら、いろいろと話しているうちに50分ほどでポツダム駅到着。駅前のバスに乗り、「サンスーシー宮殿」へ。かの有名なフリードリヒ2世王の館跡である。フルートを奏でている男性の前を通って門を入る。大王が傑出したフルート奏者であったことを想う。

 中に入るとすぐに、ヴェルサイユ宮殿の庭園を小さくした景観が広がった。狭く質素である。しかしこれは、実務に忠実で華美を排したフリードリヒ大王の意向らしい。

 ゆっくりと散策しながら旧宮殿に向かったが、入れるまで1時間待ちと聞き、諦めて新宮殿に向かった。庭園は小さいが、敷地はヴェルサイユよりはるかに広い。のんびりと話しながら歩く私たちの歩調に会わなくなったのか、娘はすたすたと行ってしまった。

 ようよう新宮殿に到着すると、娘は私たちの分までチケットを買って待っていた。

 説明はドイツ語。F夫人の通訳がなければそのほとんどが分からなかっただろう。巨大な部屋がずらーッと連なっていた。比較的最近まで実際に使用していたらしい。遠くに見える厨房の建物から地下道を通って食事を運んだとか。嘘のような本当の話。これだけ広い部屋で厳寒の冬をどう過ごしたのだろう。

 見学を終えると丁度昼食時。宮殿脇にレストランがあった。外観が粗末なので期待せずに入ったが、中は意外にも瀟洒。私は美味しいビールで喉を潤し、ロールキャベツを注文。女性たちは食後のコーヒーと甘いケーキをゆっくりと堪能していた。

 バスに乗り、次は「ポツダム宮殿」へ。第2次大戦終了時、「ポツダム会議」(アメリカ、イギリス、ソ連の三国首脳会議)が開かれた場所である。ドイツ語の説明の他に、各国の説明文が用意されていた。日本語のそれは、随分昔、F夫人が訳したものだという。「まぁ、まだ残っているなんて!」

  居合わせた日本人観光客がその説明文をじっくり読んでいるのを見て、F夫人は感じ入り、とても嬉しそうだった。

  「ポツダム宮殿」は、ここの住人であったヴェルヘルム王子の寂しい末路とともに、すでに風化されつつある第2次世界大戦が、あらためて身近に感じられる瀟洒な建物。周辺には東ドイツ時代の廃墟そのまま残っており、戦争の無惨さを今に伝えていた。

 午後4時すぎ。帰りのバスを待っているとすでに暗くなってきた。その上、乗るべきバスを間違えて、終点の駅前で降ろされてしまった。駅とは名ばかり! コンクリートの廃墟で、壁一面に落書きがあった。不思議に思いながらも中に入ってしばらく歩くと、丁度列車が入ってきた。これも東ドイツ時代の遺跡であろうか。ベルリンには「戦争」と「東ドイツ」が色濃く残っている。

 夕方6時、ホテル着。ホテルで教えてもらった駅前の中華料理店へ。予想よりは美味であった。食事が終わってサッサと帰る家内と娘とは別に、私はF夫人とゆっくり歩いてホテルに向かった。
「かつて私は、ベルリン大学留学が決まっていました」
「ベルリンに来て、ようやく過去の思いを清算できました」等々。少々熱っぽく語ったが、F夫人は黙って聞き、しっかり頷いてくれた。

 12月30日(月)。7時起床。雪が降っていた。寒いわけだ。F夫人と家内と娘はヨーロッパ1を誇るデパートに行くという。私は一人で行動せよとのお達し。それならと、10時頃、フンボルト大学医学部・病院へ行くことにした。まだ雪が降っていた。

 病棟は近代的な巨大なビルであったが、周りの医局・研究室は昔ながらの建物。戦争で瓦礫になったはずだから、その後の建物には違いないが、いかにもドイツ的な建物が各科ごとに建っていた。年末なので誰もいない。皮膚科の建物も垣間見た。

 歩いて近くの地下鉄へ。表示が簡素なのでよく分からない。訊くと「二つ目の駅で降りなさい」との指示。Fridrich駅に着く。6番線まであることに戸惑い、再度訊き、ようやく「動物公園」駅に帰ることができた。

 駅前に建つ「カイザー・ヴェルヘルム記念教会」に入る。戦争で破壊された教会の一部を残して、新しい教会となっている。全面、青いステンドグラスに覆われており、その威容な雰囲気にしばし圧倒させられた。破壊されたままの古い教会には、戦争前後の写真が並べられ、第2次大戦の凄まじさが如実に示されていた。戦争はやはり「無」だ。再現を絶対許してはならない。近頃の世相を思うとさらに強く、そう考える。

 近くにある「ヨーロッパ貿易センター」を散策してからホテルに戻った。少し仮眠。と、途中電話で起こされた。昨日頼んでおいたオペレッタのキップが取れたとのこと。ホッとするが、やはり高価だった。

 午後2時頃、再び行動開始。ホテル前からバスに乗る。途中、ソニーセンターが目に入ったので降りることに。日本の「ソニー」の大きなビル群である。ソニー製品が陳列されたビルに入ったが、びっくりするほどの人、人、人。「ソニー」という会社は、日本で知られている以上に巨大な、世界企業なのだと思い知らされた。

 再びバスに乗ると、今度は素敵なドームが現れ、降りた。「ベルリン大聖堂」。外から眺め、一周した。ドーム脇のシュロス橋から眺めるドームが川に映えて美しい。

 再びバスに乗り「ドイツ連邦議会議事堂」前下車。昨日よりさらに大勢の人達が並んで入館を待っていた。雪はいつしか止んでいたが、外は想像以上に寒い。どうしたわけか、私も並んでしまった。前の若いアベックは、寒さしのぎのためなのか、さかんにキスをする。中年の日本人(私も含めて)には不得意とする行動である。目のやり場に困った。

 行列はさらに長くなったが、日本人はまったくいない。待つこと2時間。ようやく館内に入ることができ、ホッとしたのも束の間、厳しいチェック。屋上に歩いて登れるラセン状の通路がガラス張りのドームで覆われていた。そこからベルリンの夜景を望める。夕方5時、外はすっかり暗くなっていたが、ベルリンの夜景は意外にも質素であった。

(つづく)