【トルコの休日】11)エフェソス その3) 《ケルスス図書館》
 
「ケルスス図書館」は円形劇場と並んで大型の遺跡である。
AD130年頃にローマ帝国「副執政官ケルスス」の死後、その息子が父を記念して墓室の上に建てたものだと言われている。当時エフェソスはローマの属州の一つだったらしい。
図書館本体は木造だったため、AD2世紀の火災で焼失し石造りの入り口だけが残っている。写真に入り口の全景を納められなかったが、壮大なものである。近くに写っている人物と比較して欲しい。なんとも立派で、とにかく途方もなく大きい。
堂々たる2階建てで入り口の1階部分は、「知恵」、「運命」、「学問」、「美徳」のシンボルとされる4体の女神ではさまれた3つの入り口から出入りできるようになっている。館内への出入りは自由だが、入ったところに建物の設計図のようなものが示されているだけで中には見るべきものは何も残っていない。
入り口前には6、7段の階段があった。その一段一段の高いこと、40cmはあったような気がする。私などはすいすいと登るのはちょっと無理、降りるのも恐る恐る、よちよちだった。
当時、この地の人びとはこんな段差くらい軽く上り下りできるくらい背高のっぽのコンパスの長い人びとだったのかと首を傾げるほどだった。
この建物(入り口)は1970年代になって初めて発掘されたそうだ。現在、実物はウイーンにあり、今私が見ているものはレプリカに過ぎないそうだ(何故ウイーンにあるのだろう、不思議)。もし他の部分も石造りだったら火災で焼失することもなく残っていただろうに・・・・・残念。
 
写真:ケルスス図書館入り口。
    見物している人の身長と比べてみてください。全景を納められなかったが、        
    途方もなく大きい。バックの青空も素晴らしいでしょう。         
  

蔵書は12,000冊あったとされ、当時世界第3位の規模と言われる。エフェソスの人なら男も女も等しくここの蔵書を利用することが出来たのだろうか。当時はパピルスあるいは羊皮紙の本だから高価でさぞ分厚かっただろう。書物は高価だから自分で買い求めるのではなく、必要な場合は図書館の本を利用していたのだろうか。図書館の本は住民みんなに開放され、誰でも等しく読むことが出来たのなら、素晴らしい。
 
「ケルススさん」のこと:
皮膚科には《ケルスス禿瘡》と言って、人名のついた病名がある。カビによって起こる比較的稀な病気だ。図書館の「ケルススさん」は医学とは無関係だったが、同じ名前に気を惹かれ、皮膚科の「ケルススさん」とは、どこのどんな人か調べてみた。私が調べた皮膚科教科書の中でただ一つ、この疾患の章に『ケルススはローマの医師』と註が入ったものがあった(それ以外なにも書いてなかった)。
 「ローマの医師」ですって! 何という偶然!
でも詳しいことが分からない。関心があったのでさらにインターネット、人名辞典などで調べた。それぞれ詳細は不明だが以下のような記事が載っていた。
 
1)Aulus Cornelius Celsus (BC25-AD50くらい)
   古代ローマの貴族、著述家、医師
2)Aulus Cornelius Celsus (BC25-AD45)
   医学者ではない。ギリシャ医学書の翻訳者
3)アウレウス コルネリウス ケルスス(BC30-AD64?)
   ヒポクラテスの学問を受け継いだ医師
4)ケルスス(BC35?-AD45?)
   ローマの医学に関する百科全書家で医師。   
   ヒポクラテス医学とアレクサンドリア医学を総合した。
5)ケルスス(BC25-AD45)  
   百科全書を記述し、医学部門『De re medica』では皮膚疾患にも言及
   している。職業の記載は無かった。
6)Aulus Cornelius Celsus (BC30-AD45)
   著述家。農業、医学、修辞学、哲学、戦争論などを含む百科全書を
   書いたというが、現存するのは『De Meditina』の全8巻のみ。中でも外科
   学第1章は優秀とされている。
 
キリがないのでこれ以上調べるのを止めたが、医師と記載したものは、教科書をふくめて7中4。生・没年が微妙に違っているが同一人物を指しているものと思う。そして、ヒポクラテスで花開いたギリシャ医学を受け継いで医術に関する書物をラテン語で記述した人で、初めて「結核」についても記載した。いずれにしても「紀元前と紀元後」にまたがって古代ローマ時代に活躍した人に違いない・・・と言うことは・・・エフェソスが繁栄していた頃にほぼ一致するではないか!
クレオパトラとエフェソスとの関係を知った時と同じくらいに感激した。
 
この「ケルススさん」が、《ケルスス禿瘡》を最初に報告した皮膚科医なのかどうかは残念ながら明らかには出来なかった。だが、百科全書の中には皮膚疾患の「乾癬」についての記述もあったと言うから、皮膚科の知識の豊富な医師だったのではないだろうか。
 
調べるうち、さらにもう一つの発見があった。この医師「ケルススさん」は百科全書(医学)の中で、
  『《炎症》は 「熱がある Color」、「痛い Dolor」、 「赤い Rubor」、
     「腫れる Tumor」  の 4つの特徴がある(4徴)』
と述べているそうだ。この『炎症の4徴』は、私が医学部へ入学し病理の講義で説明を受けたものと全く同じだった。2000年前と現在と、時空の隔たりを越えて 「炎症」の定義が伝えられていること、彼の観察眼の鋭さに、深い感銘を受けた。
 
《ケルスス禿瘡》の「ケルススさん」は未発見に終わったが、古代ローマで活躍した「Aulus Cornelius Celsusさん」は、とても立派な方だったのだ。