【トルコの休日】  5)最初の訪問地・ベルガマ  この空の青さ! 
 
イスタンブール・アタチュルク空港から国内線に乗り換え、イズミールへ。ここから私たちのバスで陸路、最初の訪問地「ベルガマ」へと向かった。空港から約100Kmの道のりである。途中、街道沿いのレストランで昼食(初のトルコ料理。この話はまた後日)バスはさらに走り、ついにベルガマへ到着した。ここでは、古代の医療センター跡の「アスクレピオン」と、古代の都市遺跡「アクロポリス」を見学する予定だ。
 
   
 雲一つ無い素晴らしい空! 下手な写真でその蒼さの100分の一も伝えられない。
 言葉でも写真でも言い尽くせない色だった。
 写真は、ベルガマの小高い丘の上にある都市遺跡「アクロポリス」にある「トラヤヌス神殿跡」を撮
 った時の空である。 
  
バスから降りて外の空気を吸ったとき、40度という暑さより何より、雲一つ無い空の蒼さに思わず目を見張った。底が抜けそうな、引き込まれそうな空の色なのだ。「晴れた青空」と言って片付けてしまうのはあまりにも平凡すぎる。
もしかすると、これこそ『紺碧』の空?
前橋の空は、東京ずっと澄んで綺麗な青空だと信じていた。しかし、どうだろう、この空の色は・・・。前橋の青空なんて足下にも及ばない。この色にすっかり圧倒されてしまった。
 
ちなみに広辞苑(第5版)によれば、「空色」=「晴れた空の色、うすあお色」と書いてあった。「うすあお色」ですって、ここの空は「薄青」ではない。
それなら「紺碧」ではどうだろう。「紺碧」=「やや黒みを帯びた青色」と記されていた。この方がまだ近い気がする。
文字の感じからするとやはり「紺碧」と言う表現が一番ふさわしいかも知れない。
トルコへ足を踏み込んで、一発目のノックアウト・パンチは空の色だった。
 
そう言えば「トルコ・ブルー」という言葉があったっけ。私ははっきりと意識せず、「アクセサリーで使われるトルコ石の色から来ているのかしら」と思い込んでいた。ところが、イズニック地方で作られている青色のタイルで綺麗に装飾された、トルコの代表的な寺院「スルタンアフメットジャーミー」(通称「ブルーモスク」)に端を発していたらしい。機内食のお皿のデザインもブルーだった。そうそう、あちこちでよく見かけた魔除けの目玉飾り「ナザールボンジュ」もこの青色、紺色に近い青だ。このお守り「ナザールボンジュ」は、私たちが毎日お世話になったバスのステップの横にもぶらさがっていた。
でも、このベルガマの空の色は・・・私にとってまさにトルコ・ブルー。
 
ベルガマはトルコ南西部でエーゲ海に近いところに位置する。
BC4世紀頃から都市として発達し、AD4世紀くらいまでの間には20万人を越える大都市に発展した時期もあった
アレクサンダー大王の死後、大王統治の国はいくつかに分割され、この地の後継者が尽力してベルガモン王国を築き、特に紀元前280年頃から約150年間にわたり繁栄を極めた。ヘレニズム文化とローマ時代の遺跡が沢山残されているところだ。ベルガマという地名はベルガモン王国に由来する。
 
バスで移動中に聞いたガイドのフラットさんの説明によると、ベルガモン遺跡の発掘は、19世紀からドイツによって始められたが、出土品のほとんどがドイツに持ち帰られ、ベルリンにあるベルガマ博物館の所蔵になってしまった。従ってここにある代表的な者はほとんどがレプリカだそうだ。20世紀に入り、アタチュルク氏が国の独立を果たし、「トルコ共和国」となって以降の発掘品はトルコ国内で保管されるようになったという。ガイドのフラットさんは少し悔しそうな話し方だった。当然だと思った。
 
遺跡の駐車場近くに差しかかると、フラットさんはこういった。「はい、間もなく最初にお見せするベルガマの「アスクレピオン」に着きます。皆さん、イヤホンガイドを用意してくださーい」
この台詞は、見学地到着寸前になると毎日繰り返された。
ほとんどの見学コースが野外の広大な都市遺跡とか、奇岩群の広がっている山間あるいは、広い広い王宮、モスクなどスケールの大きな所ばかりだった。ガイドさんの肉声では傍へ行かないと聞こえない。イヤホンガイドはかなり離れていても、ちゃんと耳元にガイドさんの説明が聞こえてくる仕組み、とても重宝した。ツアー初日のこの日、バスの中で配られて以来、帰国当日イスタンブールの空港で返すまで、それこそ肌身離さず持っていた。