【 トルコの休日 】 7)ベルガマ 「アクロポリス」
 
医療センター「アスクレピオン」の次は「アクロポリス」である。アクロポリスは、「6)ベルガマ・アスクレピオン」の項で写真で示した「聖なる道」を通り抜けて約2Km離れた丘の上にある。道は続いているのだが、私たちはバスで移動した。入り口を入って直ぐの広場でガイドさんから概要の説明を受けた。
雲一つ無い快晴の午後、木陰の涼しさは格別である。大きく枝を広げる木の下は、我がツアー仲間でご覧の通り超満員となった。
 
 
 
左写真:「アクロポリス」入場券、実寸:7.6×6.2cm、 入場料:5トルコリラ。
さあ、ご一緒に「アクロポリス」へ入りましょう。
右写真:まず入り口近くで説明を聞きます。強い日射しのもと、木陰は何より有難い。日向で説明中のガイドさん(左から2番目)と添乗員さん(一番左)を尻目に、ツアー仲間はしっかり木陰を確保。乾燥しているので日陰は本当に涼しくて快適だった。
 
 
ベルガマの「アクロポリス」が造られたのはBC4世紀頃と言われている。
「アクロポリス」は「高い丘の上の都市」という意味で、
「アスクレピオン」と同様に固有名詞ではなく、ギリシャに数あるアクロポリスにならって作られたもの。
「アクロポリス」と言えば、ギリシャ・アテネのアクロポリスが有名で、ギリシャのガイドブックには必ずと言って良いほど、エーゲ海の碧い海と、青い空に映えるアクロポリスのパルテノン神殿跡の写真が掲載されている。
ギリシャやトルコにそれぞれ幾つくらいアクロポリスがあるのだろう。他の国にもあるのだろうか。幾つもあるのだから正式には「ベルガマのアクロポリス」と地名をつけないといけないのだろうか。
 
「アクロポリス」にはその地方の守護神の為の神殿が建てられてられ、それが中心となるらしい。アテネのアクロポリスは女神アテナイ・パルテノスが祭られたパルテノン神殿がある。
ここベルガモンの「アクロポリス」の場合はトラヤヌス神殿である。パルテノン神殿に較べると壊れ方はひどく、神殿跡と言っても、コリント様式の柱が何本かと外壁の一部が残っているだけだが、それでも青い空を背景に、白い大理石の柱が、眩しく、美しかった。海や空の色との調和を考えて白い大理石で作ったのだろうか、とにかくきれいだ。
 
このトラヤヌス神殿は、「アクロポリス」建設当初に建造されたものではなく、ローマ時代に入ってから「アクロポリス」の王宮跡に作られたものらしい。トラヤヌスはローマ皇帝の一人である。ローマ帝国の領土は彼の時代、一番広いときだったそうで、ローマ皇帝としては有名人でコインにも刻まれている。偉業を称えて作られたらしい。 (神殿跡の写真は【(5)最初の訪問地ベルガマ。この空の青さ 】 に掲載した(ご参照下さい)。
このほかに紀元前4世紀にアテナ神殿が建てられたのだが今は礎しか残っていない。                                   
 
このように「アクロポリス」には、複数の神殿や城塞、円形劇場、図書館、武器庫などが次々につくられ、後には都市の形態を取るようになった。
丘の斜面を利用して作られた円形劇場は「アスクレピオン」のものより遙かに大きく、約15.000人を収容できたという。当時は周囲の景観をそこねないように、舞台は建造されず、催し物がある度に木造で作られたという。
 
収容能力の大きいこと、見晴らしが良いことに加えて、この形の劇場の中では座席の傾斜角がもっとも急峻なのだそうだ。確かに、上から舞台を覗くとまるで谷底、足を踏み外したら大変だ。
舞台のさらに下方には、まだ発掘中で石が転がっているだけのデオニソス神殿跡も見られた(発掘工事は行っていなかった)。
 
 
左写真:木陰になっているところが「ゼウスの祭壇」跡。祭壇跡の裾の方にはベルガマの街が広がっている。さらにその向こうはエーゲ海。
右写真:座席数1万以上の大きな円形劇場。

円形劇場の反対側には「ゼウスの祭壇跡」がある(左写真)。
写真に見るように、石造りの土台と涼しそうな木陰を作る木しか残っていない。発掘したときに遺跡はそっくりドイツへ持ち帰られ、ベルリンのベルガマ博物館に再構築されているそうだ。ドイツまで行かないと見られないのは残念だ。そっくり持ち帰ったと言うことはさぞかし立派なものだったのだろう。ここにないと思うと余計見てみたくなる。このことをトルコの人達が悔しがるのも無理ない。
                 
このほかに、AD2世紀頃に建造された、蔵書数20万冊を越えたと言う大きな図書館もあった。今は少し大きめの石が転がっているだけで、とても図書館跡とは思えないところだ。蔵書数20万冊というと、当時エジプトのアレキサンドリアの図書館の蔵書数を超えて世界一だったそうだ。それを妬んだエジプトは、ベルガモンへのパピルスの輸出を禁止したのだ(そうか、この時代はパピルスだったのだ!)。パピルスが入手できなくなったために代わりに用いられたのが「羊皮紙」だった。当時既にパピルスの栽培できない国では羊皮紙を用いていたが、ベルガモンでは研究を重ねて極めて良質の羊皮紙を開発したらしい。紙の発達する中世まではパピルスより丈夫な羊皮紙が一般的となった。あの印刷で有名なグーテンベルグも聖書を、紙と羊皮紙の両方に印刷したのだ。
 
さらにこの図書館に関する伝説がもう一つある。
当時、エジプトのアントニウス(AD83−30)は愛するクレオパトラ(AD69-30)を喜ばせようと思って、ベルガモン図書館の蔵書をすべて、クレオパトラにプレゼントしたらしい(噂?)。アントニウスもやることが大きいが、その蔵書はすべて買い取ったのだろうか、献上させたのだろうか、それとも力ずくで略奪したのだろうか。
そんなことを気にしながら、改めて時の隔たりを実感した。