【アフリカへ行きました】
 
44)空港で
 
《ジョモ・ケニアッタ国際空港》
ナイロビで寄り道していただいたので、サバンナ以外のケニアをほんの少し垣間見ることが出来ました。
さあ、ジョモ・ケニアッタ国際空港へ到着です
ここで、ケニア共和国ともお別れ、とうとう帰国の時が来ました。
 
ちょうど、1週間前に最終目的地「キチュワ・テンボ空港(?)」をめざしてワクワクしながら通過したコースを、今日は逆に辿ります。
「キチュワ・テンボ空港(?)(ケニア共和国・マサイ・マラ)」→→「ジョモ・ケニアッタ国際空港(ケニア共和国・ナイロビ)」→→「ドバイ国際空港(アラブ首長国連邦・ドバイ)」→→「関西空港」→→「羽田空港」と 来た道をなぞっていくのです。
 
初めてケニアに足を下ろしたとき、この空港は何となく薄暗くて、埃っぽくて、うら寂しいようなところだと言う印象でした。
到着ロビーのゲートを出たところには、名前を書いた紙を差し上げているガイドさんらしい人が20人ほど立っているだけで、出迎えの人はごく僅か、「羽田」や「関西」とは大違いでした。
期待・不安がない交ぜになって落ち着かず、辺りの様子詳しく観察することなく通り過ぎたのでした。
 
でも、帰りは気分的に少し余裕を持って眺めることが出来ました。
空港の出入り口は、車から次々に人が降たち、チェックインカウンター前にも人が大勢いました。
その奥には、出国手続きをしようとする人々の行列が見えました。行列を作っている人たちの肌の色はまちまちです。
背広姿の人やアラブ、インドなどの民族衣装の人、リュックを背負った観光客らしい人が一杯でした。
夏休みと言うこともあって子供連れの家族もいました。
並んだ行列は遅々として進みません。それというのも手続きの管理官がたった2人しかいないのです。
やっと手続きを終えて歩き始めたのですが、手続きをした先の通路やホールは狭くて、暗くて、進むに従って人影もまばらになりました。
あそこに並んでいた沢山の人達は一体どこへ行ってしまったのでしょう。他のアフリカ諸国へ行く別の搭乗口付近にいるのでしょうか。
搭乗までにもう少し時間があるのでラウンジへ行こうと思ってきょろきょろしたのですが、見つかりません。
インフォメーションも少ない上に、誰かに尋ねたくても人影が少なくてどうしようもありません。
キャリーバッグをゴロゴロ転がしながらウロウロして、やっとの事で小さな免税店が2,3軒並んでいる傍にあるのを見つけました。
 
空港の免税店と言えばどこでも沢山のショッピング客で繁盛していると聞いています。でもここは少し様子が違うようでした。
おきまりのアルコールやタバコの他、お土産用の動物の人形、ケニアの名産コーヒー、紅茶などが並んでいますが、お客さんは一人も見かけず、恰幅のよいママさん風の人が、ぽつんと所在なさそうにレジの前に立っているだけでした。
あまりの淋しさに、お店の中へ入っていってお土産品を物色するのが躊躇われ、結局やめてしまいました。
 
ケニア共和国は発展途上国で、農産物を中心とする農業国です。
主な生産品はコーヒー、紅茶、サイザル麻、綿花などです。
特産品の中でもコーヒーや紅茶の質のよいものはほとんど輸出にまわされているので、ケニア国内で入手できるものは品質が劣ったものが多いという噂があります。
現在、工業開発が進みつつあるそうですが、国全体が豊かで暮らしやすくなるにはこの先相当な道のりが必要だろうと思いました。
そうかといって、自然保護を考えると、やたらと動物を売り物に観光大国を目指すことは不可能です。
 
ケニアを含めてアフリカ諸国の皆さんが平和で幸せに暮らせる日が来れば、ジョモ・ケニアッタ国際空港にも活気がみなぎるようになるのでないでしょうか。
 
 
《ドバイ国際空港》
ジョモ・ケニアッタ空港を後にして、約5時間後にトランジットのためにアラブ首長国連邦(UAE)のドバイ国際空港に降り立ちました。
現地時間では、ちょうど真夜中でした。
中央に広い吹き抜け部分を擁するロビーには天井から大きなシャンデリアが下がり、真夜中というのにあちこちで電気が煌々と輝き、まるで不夜城でした。
24時間営業の国際空港とは言え、ひと、人、ひと、どこもここも溢れかえらんばかりの人です。
免税店の中も人だらけ、通路も人だらけ、食堂街も人だらけです。
「えーっ、今は真夜中なのに、この混雑は一体なになのかしら?」 と時計を確かめたくなるほどでした。
ナイロビからの飛行機の中で寝ていて、頭の半分はまだ夢の中、「ボーッ」としたまま飛行機を降りたのですが空港ロビーのあまりの派手さ、明るさ、人の多さに圧倒されて、一気に目が覚めてしまいました。
 
緑の葉を茂らせた人工の木がそこここにあり、豪華なソファや椅子があちこちに置いてありました(勿論どれもこれも人が坐っていました)。
ずらっと並ぶ免税店も明るく華やかで、大勢の人が出入りしています。
そうです、ドバイでは金とかブランドものの時計・装飾品がお買い得なのだそうです。
お買い得かも知れませんが、あいにく私は、ブランドものには極めて淡泊、装飾品にも心惹かれることが少ないので、適当に横目でチェックして通りました。結局、我が家族はだれ一人お店には入りませんでした。
 

アラブ首長国連邦(UAE)はアラビア半島の北東に位置する国です、さすがに空港にはアラブ風の民族衣装の人が多く、サリーを纏った方も結構見受けられました。
男の方の民族衣装は白の長着(カンドーラ)に赤・白のチェックあるいは白の頭巾(ゴトラ)を被り、黒のバンド(アガル)で止めたものです、そして顔には立派なひげ(成人男性のシンボル)を蓄え、とても威厳があります。
女性は出来るだけ肌を他人には見せないことになっているので(イスラム教の教え)、外出時は黒のゆったりしたガウンのような服を着て、頭には共布のかぶり物(シェイラ)を使って目だけを出す格好です。私たちから見ると最高にエキゾチックな身なりです。
ご婦人はこの下にとてもオシャレな流行の洋服などを着ていらっしゃるらしいです。
全員が民族衣装というわけではなく、オシャレなスーツを身に纏い、ヒールの高いパンプスで闊歩しているご婦人とか、りゅうとした背広姿のビジネスパーソンたちも沢山見かけました。
 
ここの空港で何より驚いたのは、沢山の人が行き交っている以外に、通路やロビーのいたるところに男の人だけでなく女の人や子供までがゴロリと横になって眠っている人達がいることでした。それも半端な数ではありません。
ほとんどが民族衣装の人々です、お国柄とでも言うのでしょうか、夜だからでしょうか。
皆、同方向に頭を揃えてずらりと横になって寝ている姿は、私の目には特別な意味でもあるかのように異様な光景に映りました。 
人混みの中ですから、うっかりすると踏んづけてしまいそう・・・・・。
ここでは、公衆の面前でゴロリと横になって寝てしまうのは当たり前のことなのでしょうか。
とにかく、ドバイ国際空港内で最大の「驚愕体験」でした。
 
ガラス張りのラウンジから外を見ると、夜明け前の薄明かりの中で、きれいに舗装された道路が延びていました。
椰子の木らしい葉の茂った街路樹と、明るく電気の灯った街灯が等間隔にきれいに並んでいるのが見えました。
その向こうは海のようです。
ドバイは前に海、後ろに砂漠をひかえた都市ですが、残念なことに《月の砂漠》をゆったり歩くラクダの姿は見られませんでした。
 
ドバイはこの国第二の都市(第一は首都アブダビ)で、国際ハブ空港です。

ヨーロッパ、アジアなど世界各国から約100社の航空会社が乗り入れていて24時間ぶっ通しで営業しています。
前面の海底から掘られている石油産出国ですが、最近では海洋リゾート地としての拡充も図っている豊かな国です。
市内に水路を造り、砂漠の緑化にも力を注いでいるそうで、『中東のベニス』とも言われています。
華やかに発展しているのも当たり前かも知れません。
それにしても、こことジョモ・ケニアッタ空港との差を見せつけられ、また考える種ができてしまいました。
 
ドバイを発って約10時間でついに関西空港に着陸です。
ほぼ定刻の17時に着き無事日本の地を踏みました。
そこからさらに羽田へ向かいました。とうとう、日本へ帰ってきました。今回の旅における空の終着駅羽田です。
 
  「えっ、日本の空港はどうだったかですって?」
「はいはい」日本の空港もドバイに負けないくらい、人が一杯、明るくて賑やかでした。時間も夕方でしたから当然かも知れません。
ベンチで横になっている方を何人か見かけましたが、ドバイのように床に寝ている人は居ません。
お土産好きの日本人のことです、空港の売店では「食べ物のお土産品」と「空弁」が人気のようでした。
それにケイタイを使いながら歩いている若者の何と多いことでしょう、ドバイとは比較になりません。
 
ロビーで、テレビを眺めている人を見かけて、
  「そうそう、テレビ、テレビがあったのだ」 と今まで忘れていたテレビのことを急に思いだしました。
8日間というもの、テレビから離れていましたが、まったく不自由を感じなかった私でした。
マサイ・マラで自然の懐に抱かれているだけの暮らしならテレビは無用の長物です。
そうは言っても、今夜家へ帰ったら間違いなく先ずテレビ、明日の朝起きたら真っ先にテレビのスイッチを入れている私に違いありません。
今の日本での生活は、情報入手の手段として、テレビ、新聞、ラジオなどの媒体は絶対に必要なのだと思いました。