【会頭の主張およびプロフィール】
 約3年後に、日本臨床皮膚科医学会(日臨皮)北関東信越支部主催で第21回日本臨床皮膚科医学会総会・学術大会が開催されることがほぼ内定した。
 “学会とは、学者相互の連絡、研究の促進、知識・情報の交換、学術の振興を図る協議などの事業を遂行するために組織する団体”と『広辞苑』には難しく記載されている。なるほどと思いながら、かつての学会に思いをはせた・・・・・。


 私が入局(群馬大)した頃は、群馬には地方会などなく、毎月第3土曜日“東京地方会”に出掛けていった。その当時まだ新幹線はなく、学会場までおよそ2〜3時間ほど要したと思う。まだ東京地方会も4会場に分離される前で、毎月の東京地方会には数百人の皮膚科医が集まり、多くの演題では活発で熱心な討論がなされていた。

 そのため東京地方会に発表する際、随分勉強させられた記憶がある。教授や先輩は、想定質問を浴びせかけ、何度もスライドを作り替えた記憶がまるで昨日のことのように思い起こされる。この東京地方会が、私の学会の最初であり、今から考えると学会の原点ではなかったかと思っている。
 当時はその他、現在と同じように、東部支部学術大会と日本皮膚科学会総会が重要な学会であった。入局5年ほど経てようやく発表させてもらえたように記憶している。

 その後数多くの学会が、さまざまな理由から誕生した。日臨皮学会の他に日本研究皮膚科学会、日本小児皮膚科学会、日本接触皮膚炎学会、日本乾癬学会、日本皮膚悪性腫瘍学会、皮膚アレルギ−学会(順不同)、などなど。さらに各地に地方会ができた。その例に漏れず、群馬県も年4回の日本皮膚科学会群馬地方会があり、年2回程度の群馬実地皮膚科医会という集まりもある。今やまさに大小の学会のオンパレ−ドの状態になっている。

 そうした中で、日臨皮学会の存在意義は一体どこにあるのだろうかと考えざるえない。最低限言えることは、日本皮膚科学会総会や東部支部学術大会と同じスタンスならば全く意味はないだろうし、多くの皮膚科医は興味を示すはずもない。 それならば、昔の学会をもう一度検証しつつ、日臨皮学会の存在意義を考えてみたい。

1)かつての東京地方会はとにかく活気があった。多くの先生方が手ぐすねを引いて我々若い皮膚科医の演題を待っていたように思う。一つの症例報告にさまざまな角度からの質問や忠告、助言、たまには賛辞もあった。発表する時はもちろん、第3者としても学会では緊張し、刺激された。その背景にはまだ皮膚科学が“記載皮膚科学”の範疇にあり、それほど細分化されておらず、共通の立場で議論ができたことが挙げられるかもしれない。
 ということは、そうした雰囲気を再現する“場”を作ることができるならば、日臨皮学会の存在意義も出てこよう。何故ならあくまでも、共通の基盤を持った“皮膚病臨床”の学会だからである。ごくありふれた疾患であればあるほど、共通の基盤の中から多くのことを語り合えるのではないだろうか。それらの議論・討論は、ただちに診療に直結するはずである。

2)いつのまにか、昼にもランチョンセミナ−と称して、昼食をとりながら勉強するようになった。最近ではモ−ニングセミナ−があり、イ−ブニングセミナ−まである。確かに食事に関しては簡便であろうが、朝から晩まで勉強・勉強・・・。それほどまでに学会は勉強するところなのだろうか?
 食事が用意されているのはよいことだが、ランチョンセミナ−は、もっとくつろげる、あるいは皮膚科領域以外の興味深い企画でもよいのではないだろうか、と思う。
 かつて私は、昼食を兼ねて久し振りに会う友人と、その土地土地の昼の町並みを徘徊した。今でも印象に残る思い出となっている。

3)もしあまり行くことのない土地での学会ならば、学問以外の楽しい思い出も作っていただきたいものだ。友人同志(恋人同志?)でもよいだろうし、夫婦同伴は最高の奥様孝行になるはずである。
 例えば群馬県ならば、“尾瀬”は一生に一度は行っていただきたい素晴らしい別世界である。“伊香保温泉”や“草津温泉”などでせめて一日だけでもゆったりと過ごして、日頃の激務から開放されることも大切なことであろう。その際学会という“隠れ蓑”を利用しない手はない。
 通常、学会用のパンフレットの中にはありきたりの観光案内しか入っていない。可能ならば、興味をそそる、詳細な、そして具体的な資料を提供すべきだと思っている。

 思うところ、昔の学会は現在より楽しかったように覚えている。加藤吉策先生が新潟市で開催された第7回日臨皮総会・学術大会も思い出深い。私は、演題1)を発表し、観光にも出掛けた。その観光で、友人と訪れた新潟市に近い豪邸“北方博物館”での記憶は今なお鮮明である。
 もし日臨皮北関東信越支部で日臨皮学会を主催するのであれば、日本皮膚科学会総会のミニ学会であってはならない。まず皮膚科臨床医にとって興味深く、“楽しい”学会を目指さなければならないだろう。そして、どんな印象であれ(良くとも悪くとも)、後で“思い出”が残る学会であって欲しい、と願っている。

                         文献

                          1)服部 瑛ほか:臨皮,46:241,1992

会頭プロフィール 会頭の主張 その1 会頭の主張 その2
日本臨床皮膚科医学会総会・学術大会
−その1−


服部 瑛(群馬県)